オーエン・ハート“カルガリーの天才児”と呼ばれた男――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第313回(1999年編)
オーエンの13年間の現役生活は、8歳年上の兄ブレットの背中を追いかけながらの“持久走”だったのだろう。WWEは、というよりもWWEのオーディエンスは長いあいだヒットマンの弟に無関心だった。
“いいレスラー”と“人気のあるレスラー”は必ずしもイコールではなく、オーエンにメインイベンターのステータスを与えたのはその天才的な運動センスではなくて兄ブレットに対する“裏切りのドラマ”だった。
“売れない弟のジェラシー”というテーマはオーエンを月曜夜の連続ドラマの重要な登場人物のひとりにした。黒とピンクのリングコスチュームは、ブレットだけのものではなかった。
ブルー・ブレーザー(青い閃光)はほんの数週間まえにリニューアルされたばかりの復刻キャラクターだった。
オーエンは無名時代に何度かマスクマンに変身したが、やや唐突な感じで登場してきた“青マント”は、ソープオペラ路線が暴走しすぎてしまった“ロウ・イズ・ウォー”をほんのちょっとだけ軌道修正するために用意されたお手軽な正義の味方キャラクターだった。
地上30メートルの高さからオーエンがリングの上に落下してきたとき、ほとんどの観客はそれが演出ではなくアクシデントだということに気がつかなかった。
実況ブースに座っていたジェリー“ザ・キング”ローラーがあわててリングサイドにかけ寄っていった。アナウンサーのジム・ロスは「これはショーの一部ではありません。大きな問題が起きました」とだけ視聴者に伝えた。
PPV放映はこの時点で番組を約15分間中断。ライブの観客へは全試合が修了するまで事故の詳細は知らされなかった。
空からリングに舞い降りてくるはずだったオーエンは、なにかのまちがいでそのまま天に召されてしまった。“天才児”と呼ばれたレスラーの死はあまりにも突然で、あっけなかった。享年33。
それがほんとうに正しい選択であったかどうかは議論の余地を残すところではあるが、WWEはPPVイベントの継続を決定し、午後8時から試合を再開。“ショー・マスト・ゴー・オンThe Show Must Go On”の格言どおり、予定のラインナップを決行したのだった。God Bless Owen’s Soul.(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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