ストーンコールド対ロック@“レッスルマニア15”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第311回(1999年編)
“ロウ・イズ・ウォー”と“マンデー・ナイトロ”の月曜TVウォーズ、というよりもWWEとWCWの2大メジャー団体によるレスリング・ビジネスの完全制圧―事実上のモノポリー化をめぐる闘いに決着がついたのはいったいいつだったのかと考えてみると、それはおそらく“レッスルマニア15”が開催された日だった(1999年3月28日)。
WWEはこの年、ペンシルベニア州フィラデルフィアのザ・ファースト・ユニオン・センターで年間最大のイベント“レッスルマニア15”を開催。同アリーナに2万276人の大観衆を動員し、入場チケットによる興行収益は143万8050ドル(会場内でのグッズ売り上げ収益は27万4384ドル)という数字をはじき出した。
これはアメリカ国内のインドア・スポーツの興行収益としては“レッスルマニア5”(1989年4月2日、ニュージャージー州アトランティックシティー、トランプ・プラザ)の162万8000ドル、“レッスルマニア3”(1987年3月29日、ミシガン州デトロイト、ポンティアック・シルバードーム)の159万9000ドルに次ぐ歴代3位で、カナダで開催された“レッスルマニア6”(1990年4月1日、カナダ・オンタリオ州トロント、スカイドーム=興行収益345万カナダドル)を含めると歴代4位という“番付”になる。
PPV視聴契約世帯数はこの日、アメリカ国内だけで83万世帯突破の新記録を樹立(ケーブルTVプロバイダーからWWEに支払われた視聴契約料のパーセンテージ合算は1247万ドル)。WWEの“レッスルマニア”がMLBのワールドシリーズ、NFLのスーパーボウルと並ぶ国民的行事であることを証明した。
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