WCWの“実権”を握ったケビン・ナッシュ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第310回(1999年編)
口ゲンカではだれもケビン・ナッシュにはかなわない。あれだけの体だから、ふつうのケンカだってきっと強いのだろう。でも、それとこれとはいっしょに論じることはできない。
基本的に――議論のための議論ではないけれど――プロレスラーはリングの上でもドレッシングルームでもケンカのためのケンカはやらない。ナッシュの“口ゲンカの強さ”とは、現場での発言力、影響力の大きさを指していた。
WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)の毎週月曜夜のプライムタイム生番組“マンデー・ナイトロ”は、WWEの“ロウ・イズ・ウォー”とはまたちがった意味で、プロレス中継というよりはプロレスラーが演じる連続ドラマだった。週イチのエピソードでドラマは1年に“50話”が進行していく。
“ナイトロ”の“1話”のランタイムは3時間。そのうちの2時間が“ロウ”とバッティングしていた。放映日の翌日には15分刻み(クォーター・アワー)の視聴率が明らかになり、エリック・ビショフWCW副社長をはじめとする首脳陣はこの“数字”だけに一喜一憂した。
TVマッチ以外の場面での登場人物たちのストーリーがつねに番組のどまんなかにレイアウトされていた。ナッシュも、相棒スコット・ホールも、ハルク・ホーガンもリック・フレアーも、スティングもレックス・ルーガーも、ブレット・ハートもロディ・パイパーも“マッチョマン”ランディ・サベージも“ナイトロ”ではまったくといっていいほど試合をしなかった。
nWoを牛耳っていたのは“ハリウッド”ホーガンではなくて、どうやらはじめからナッシュだった。nWoが“白”と“赤”のふたつに分けられたのはホーガン・グループとナッシュ・グループののれん分けのような感じだった。
“赤nWo”には絶対的ベビーフェースのスティングとその親友ルーガーが混ざり込んでいた。“赤nWo”と“白nWo”のポジショニングがあいまいになりかけたのと時を同じくして“超人類”ゴールドバーグが出現した。
ホーガンが“大統領選出馬”を宣言して“引退”を表明した。“赤nWo”と“白nWo”が再編成の方向性を打ち出すと、いつのまにかナッシュがWCW世界ヘビー級王座を手に入れていた。
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