“Y2J”クリス・ジェリコの選択――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第317回(1999年編)
どうしてロックンローラーなのかというと、それはジェリコがプロレスと出逢ってしまった悲しいロックンローラーであったことを意味していた。バンドもつづけたかったけれど、プロレスラーにもなりたかった。どっちも同じくらい愛しているから、ロックのテイストを大切にするプロレスラーになった。
ロードに出るようになってあっとうまに10年近くの時間が経過していた。ロッカーとレスラーに共通していることは、どちらも世界じゅうに友だちがつくれることだった。
ジェリコは、WCWではできなくてWWEならば交渉可能なサムシングとして、“クリス・ジェリコ”に関するクリエイティブ・コントロール――創造・創作・創案の権利とその適用、知的所有権の保有――という条項を契約書に記載させた。
過去にビンスとのネゴシエーションでこのクリエイティブ・コントロールにある程度の“振り幅”を認めさせたレスラーはブレット・ハートとロディ・パイパーのふたりだけだった。
“Y2J”と“アヤトーラ・オブ・ロックンローラー”というふたつのニックネームが定着してくると、これに“ジェリコホリック”という3つめのキャッチフレーズが加わった。
ワーカホリック(仕事依存症)とかアルコホーリック(アルコール依存症)とかと同じで、“ジェリコホリック”もまたビョーキである。そのまま訳せば“ジェリコ依存症”になる。
WWEはジェリコに“なりたい自分”になれる自由を与えた。プロレスはロックだし、ロックはプロレスだから、ふたつを分けて考える必要はもうなくなった。
ジェリコホリックはジェリコがまき散らすビョーキ。だから「もっともっと患者を増やさなくればいけない」とジェリコは考えた。まったく新しいタイプのスーパースターの出現だった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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