TAKAとFUNAKI、そしてTAJIRI――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第314回(1999年編)
1999年はメジャーリーグWWEとハードコア団体ECWが急接近した1年だった。両団体の業務提携路線としてECWの4.3“サイバースラム99”ECWアリーナ大会(ペンシルベニア州フィラデルフィア)にWWEからの“リース”という形でTAKAみちのく、2・コールド・スコーピオ、パピチューロの3選手が出場した。
TAKAはこの日、第4試合でパピチューロと対戦し、これを一蹴。ECWアリーナの常連層はスタンディング・オベーションでTAKAに大きな拍手を送り、“大物”の来訪を歓迎した。“サイバースラム99”はECWアリーナ定期戦というよりはハードコア・ムーブメントの原点回帰に着手したECファッキンWの決起集会といってもいい、ひじょうに味つけの濃いライブだった。
WWEとECWのコラボレーションを実現した代理人はIWAプエルトリコのオーナーで、WWEではビジネス・コンサルタント的な立場にあったビクター・キニョネスだった。
TAKAは「ドレッシングルームが和気あいあいで、みちプロみたいなノリ」と語り、WWEのバックステージとはやや雰囲気の異なるECWを“闘いやすい場所”ととらえた。
4.3“サイバースラム99”から1カ月後に開催された5.8ECWアリーナ定期戦では、TAKAはTAJIRIと初タッグを結成してスペル・クレイジー&スパイク・ダッドリーと対戦(TAKAがクレイジーをフォール)。アメリカで活躍する日本人レスラーふたりによる“越境コンビ”はECWアリーナのコアなマニア層を喜ばせた。
TAJIRIは1999年1月、ポール・Eことポール・ヘイメンECWオーナーのブッキングでCMLLからECWに移籍し、メキシコからフィラデルフィアに引っ越してきた。ECWのリングアナウンサー、ジョーイ・スタイルスが“田尻義博”を“ヨシヒーロ・タジーリ”とフルネームでコールしていたのが印象的だった。
TAJIRIは5.16“ハードコア・ヘブン99”ニューヨーク州パキプシー、7.18“ヒート・ウェーブ99”オハイオ州デイトン、9.19“アナーキー・ルールズ”シカゴとECWのPPV3大会に連続出場し、7月と9月の2大会ではメインイベントでECW世界ヘビー級王者タズと対戦した(9.19“アナーキー・ルールズ”はタズ、マイク・アッサムとの3ウェイ・ダンス)。
ポール・Eはすでにこの時点でTAJIRIというレスラーのたぐいまれな才能を見抜いていた。
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