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“Y2J”クリス・ジェリコの選択――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第317回(1999年編)

WWEオフィシャルRAWマガジン表紙

クリス・ジェリコは1999年7月、それまで3年間在籍していたWCWとの契約満了と同時にWWEと正式契約を交わした。(写真はWWEオフィシャルRAWマガジン表紙より)

 クリス・ジェリコがWWEと専属契約を交わしたのは1999年7月1日(契約書の日付は同年8月1日)のことだった。

 ジェリコは1996年8月から1999年7月まで3年間、WWEのライバル団体WCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング=ジョージア州アトランタ)に在籍していたが、同団体との契約満了と同時にWWEと契約。

 WCWはジェリコに対して契約更改―残留を求め、年俸75万ドル&インセンティブ(出来高)の複数年契約をオファーしたというが、ジェリコは年俸提示額ではWCWのそれよりも低いWWEをあえて選択した。ジェリコは“マンデー・ナイトロ”という空間からの“脱出”を強く望んでいた。

 1970年、ニューヨーク生まれのカナダ・ウィニペグ州マニトバ育ち。ハイスクール時代はアイスホッケーとバンド活動に熱中し、大学にいったん進学したがプロレスとロックの二者択一に悩みに悩んだ末、「いましかトライできないこと」としてプロレスを選んだ。

 オーエン・ハートとクリス・ベンワーにあこがれてカルガリーのスチュー・ハート道場に入門。1990年10月、カルガリーでデビューした。

 その後、アメリカのインディー・シーン、メキシコ、日本を長期ツアー。メキシコではコラソン・デ・レオン(アイ・オブ・ザ・タイガー)、日本のWARではライオン・ハート、ライオン道のリングネームで活動した。向学心が高く、日本滞在中にひらがなとカタカナの読み書きをマスターしてしまった。

 1996年、ECWを経由してWCW入り。WCWでは中堅クラスでくすぶっていたが、WWEはジェリコの天性のスター性を正当に評価した。

 新キャラクター、ジェリコのために用意された“Y2J”という新しいニックネームは、西暦2000年1月1日の午前12時ちょうどにコンピュータが誤作動を起こすといわれていた“Y2K”(2000年問題)のパロディであることはいうまでもないが、ジェリコとWWEはこの“Y2J”なるコンセプト(とその商品化-マーチャンダイズ展開)を共同開発した。

 “Y2J”とともにジェリコ自身がプロデュースしたもうひとつのニックネームは“アヤトーラ・オブ・ロックンローラー”。アヤトーラとはイランの革命家アヤトーラ・ホメイニ師のことで、アヤトーラとロックンローラーのリズムがライム(韻)になっていた。

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