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ステファニーはいきなりスーパースター ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第316回(1999年編)

WWE2K16ゲームのジャケットカバー

1999年4月のTVデビューから約半年で連続ドラマ“ロウ”の主役クラスに急浮上したステファニー・マクマホン。その肩書は女子プロレスラーでもエグゼクティブでもなく“オン・カメラ・パーソナリティー”(写真はWWE2K16ゲームのジャケットカバーより)

 プロレスの試合をすることもあるけれど女子プロレスラーというわけではなくて、女優としてそこに立っているのかといえばそれもちょっとちがう。ステファニー・マクマホンのオフィシャルな“肩書”はオン・カメラ・パーソナリティーと形容するのがいちばん正しいらしい。  毎週月曜夜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”の重要な登場人物、ステファニーはビンス・マクマホンWWEオーナーのじつの娘である。  いわゆる典型的な清純派のお嬢さまキャラクターで、しかも父親とはあまり似ていないスッピン美人だったため、TVデビュー直後は「ほんとうの娘ではないのでは」というウワサが流れたが、ビンスの長女というポジションはやっぱり正真正銘のホンモノでなければ意味がない。  清純派ベビーフェースとして“ロウ”に初登場したステファニーは、アンダーテイカーとその仲間たちに誘拐され、親のカタキである“ストーンコールド”スティーブ・オースチンの手で“魔界”から救出された。  ステファニーとリンダのマクマホン親子がWWEの持ち株をストーンコールドに“譲渡”し、ストーンコールドがWWEの新オーナーに就任するというストーリーもあった。  WWEは1999年8月、親会社タイタン・スポーツ社の社名をWWFE(ワールド・レスリング・フェデレーション・エンターテインメント・インコーポレーテッド=現WWE)に変更し、ニューヨークのナスダック市場に上場。同社株式の約30パーセントを公開した。  ナスダック市場上場から1週間で1億7000万ドル分の株式が取り引きされ、同年10月にはビンスの持ち株の評価額が9億6390万ドル(額面)にまでハネ上がった。  WWEは翌2000年、ニューヨーク証券取引所に上場。ソープオペラのストーリーラインとしての“株の売買”が不思議なリアリティーを持ったのもこのころだった。  ステファニーとテスト(アンドリュー・マーティン=故人)の“交際”が発覚し、テストがリング上でステファニーに“求婚”。10.11“ロウ”番組内でふたりの結婚式がおこなわれるはずだったが、TVマッチで場外乱闘に巻き込まれたステファニーがゴミ箱で頭を強打し、一時的に記憶喪失になるというエピソードになっていた。
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プロレスファンはステファニーの恋愛ドラマを受け入れた
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