雑学

マイケル富岡「ディスコのVIPルームの会計は一度も払った記憶がない」

マイケル:当時のディスコの思い出といえば、例えばマハラジャは、夜な夜な錚々たる外タレさんがやって来て、アンルイスさんが歌って、最後に成田勝さんが登場するというのが王道だった。成田さんは、もうディスコのスーパースター!「遊び人」として尊敬されていて、黒服たちの憧れだった。  当時はVIPルームに行けば、なんの約束もしていないのにタレントさんをはじめ、いつものメンバーが集まってきてた。で、頼んでもいないのにシャンパンとかフルーツ盛りがどんどん出てきて、ドンチャン騒ぎが始まる。でも不思議だったのは、誰が会計をしていたのかわからなかったこと。僕は一度も払った記憶がない。とにかく誰かが会計を勝手に済ましてくれてたわけ。
石原壮一郎

石原壮一郎

石原:そういう世界が本当にあったんですね。当時、『ポパイ』や『ホットドッグ・プレス』(※6)を読んで、そんな世界があるようだというウワサだけはキャッチしていましたが……。僕らの仲間内では、ディスコのチークタイムに女のコを誘えたってだけで、ソイツはヒーロー扱いでした。 ゴメス:チークタイム! あったねー。突如スローテンポのメロウな曲が流れて、その時間帯は女のコと抱き合いながら踊るのがお約束でした。 マイケル:懐かしいね! またやってみたいなあ……。 (※1)ディスコ 日本のディスコブームは70年代後半が第一次と言われ、新宿の「ツバキハウス」、「ワンプラスワン」などが有名。80年代は、六本木スクエアビルの「ネペンタ」、「ギゼ」が人気店だったサーファーディスコブームに始まり、ユーロビートに代表される「麻布十番マハラジャ」、「青山キング&クイーン」などがはやった第二次ディスコブームへと続いた。そして80年代後半から90年代にかけては、湾岸地区で「MZA有明」や「ゴールド」などが流行。ウォーターフロントブームが到来した (※2)「今日はかわいいコがいなかったなあ」と負け惜しみ言ってました 「アイツ女だったの? 髪が長いから男だと勘違いしてた」というハイブローな負け惜しみ方もあった (※3)スパゲティ 当時は「パスタ」という言葉が、まだほとんど日本に浸透していなかった (※4)ドレスコード ジャケットとネクタイの着用が標準的なドレスコードだったが、きちんとそれらを着用していても、黒服から慇懃なお断りを入れられることも少なくはなかった (※5)木梨憲武 ギョーカイの内輪ネタを得意ギャグの一つとする、このころのとんねるずは、まさに若者のカリスマであった (※6)『ポパイ』と『ホットドッグ・プレス』 『ポパイ』は、マガジンハウス発行の男性向けファッション情報誌で、1976年創刊。オシャレの代名詞として、流行や遊びに敏感な都会的男子はポパイ少年と呼ばれた。一方、『ポパイ』に対抗した『ホットドッグ・プレス』は講談社発行の情報誌で、1979年創刊。いわゆるデートマニュアル本として人気を得ていた 【マイケル富岡】 1961年米国ニューヨークでアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれる。ハイスクールの頃から、モデルとして活動。1985年「MTV」のVJに起用される。音楽分野のほか多くのバラエティ番組で活躍する一方、NHK大河ドラマ『信長』に明智光秀役で出演するなどマルチタレントとしても活動。イベント司会など広い分野で活躍する 【山田ゴメス】 1962年大阪府生まれ。ライター&イラストレーター。画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション、音楽、美術評論まで精通。『日刊SPA!』でゴメス記者として多視的なコラムを配信中。著書に『「若い人と話が合わない」と思ったら読む本』(日本実業出版社)、『クレヨンしんちゃん たのしいお仕事図鑑』(双葉社) 【石原壮一郎】 1963年三重県生まれ。コラムニスト。月刊誌の編集者を経て、1993年に『大人養成講座』でデビュー。『大人の女養成講座』『大人力検定』『大人の合コン力』などなど、大人をテーマにした著書を多く発表し、メディアで活躍。日本の大人シーンを牽引している。「伊勢うどん大使」「松阪市ブランド大使」も務める 構成/80’s青春男大百科編集部 撮影/林紘輝(本誌) ヘアメイク/久野友子 写真/産経新聞社
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マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!





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