肩パッド、DCブランド、丸井の赤いカードでローンを組む…80年代若者のファッション
インターナショナルスクールに通いつつ、10代でモデルやDJとして活躍していたマイケル富岡(1961年生まれの55歳)。関西の大学でテニスサークルに所属し、最大公約数的なキャンパス生活を過ごしながら卒業後に就職のため上京。画材屋でレジを打つ毎日だった山田ゴメス(1962年生まれの54歳)。埼玉県の大学に通うため三重県から上京。学生時代はミニコミ誌制作に明け暮れ、その流れで出版社に潜り込み、編集者として働くようになった石原壮一郎(1963年生まれの53歳)。甘えと責任がアンニュイに絡みつく10代前半から20代を80年代とともに過ごした彼らの目に、バブル経済へと向かう時代の高揚感や光景は、どのように映っていたのだろう?
山田ゴメス(以下、ゴメス):この時代、何はともあれ洋服にやたらとお金をかけてましたよね? ディスコのドレスコード対策もあったんでしょうけど……。
マイケル富岡(以下、マイケル):あのころは、DCブランド(※1)が全盛期で、肩パッド(※2)がたくさん入っている服を着てた。僕なんか最高で3枚も入れていた(笑)。当時は今よりも流行りのファッションがわかりやすかったよね。みんな30万~50万円の洋服を、丸井でローンを組んで平気でバンバン買っていた。今じゃあり得ない。
石原壮一郎(以下、石原): 丸井の赤いカード! 私も社会人になったばかりのころ、丸井の中にあったタカキュー(※3)でローンを組んで、スーツを買いました。
ゴメス:僕は大学までは大阪だったので、丸井のことを知らなかったんですよ。
石原:僕も最初○I○Iが読めませんでした。
ゴメス:当時、関西にマルイはなかったから。ほら、コント赤信号の「丸井だぜ!」(※4)っていうギャグがあったじゃないですか。でも、関西にいたころは何が面白いのかサッパリわからなかった。でも、上京して初めて池袋の丸井に行ったときは衝撃でした。細かい分割払いができて、お金まで簡単に借りられて……。誰でもカードが作れちゃった。
石原:近年は、ローンを組んでまで洋服を買う若者って、あまりいないのでは?
マイケル:そうかもね。いい意味でも悪い意味でも、今のコたちって、バランス感覚に長けていると思う。
石原:当時は私の周囲ですら、十数万のスーツを普通に買っていました。シャツに何万円もかけているくせに、住んでいるアパートは家賃3万円のボロアパート(笑)。(※5)
アパートはボロでも洋服にはお金をかけた
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『80's青春男大百科』 マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る! |
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