マイケル富岡「80年代はマイテープに自分のDJを入れて彼女にプレゼントしてた」
インターナショナルスクールに通いつつ、10代でモデルやDJとして活躍していたマイケル富岡(1961年生まれの55歳)。関西の大学でテニスサークルに所属し、最大公約数的なキャンパス生活を過ごしながら卒業後に就職のため上京。画材屋でレジを打つ毎日だった山田ゴメス(1962年生まれの54歳)。埼玉県の大学に通うため三重県から上京。学生時代はミニコミ誌制作に明け暮れ、その流れで出版社に潜り込み、編集者として働くようになった石原壮一郎(1963年生まれの53歳)。甘えと責任がアンニュイに絡みつく10代前半から20代を80年代とともに過ごした彼らの目に、バブル経済へと向かう時代の高揚感や光景は、どのように映っていたのだろう?
マイケル富岡(以下、マイケル):80年代は音楽、特に洋楽の基礎知識量がそのままモテにつながる時代だった。
石原壮一郎(以下、石原):そんなときにはやったのがウォークマン(※1)でしたね。
マイケル:そうそう! 当時、付き合っていたモデルの彼女がウォークマンを持っていたのを見て、衝撃を受けた。
石原:とてもかっこよかったし、小さいくせに音も、当時では画期的によかった。そのぶん値段も高くて、たしか3万円以上だったような……。
山田ゴメス(以下、ゴメス):でも、ソニーのウォークマンじゃないと絶対にダメだった(笑)。アイワ(※2)とかだとパチモン扱いされて……。機能はそう変わらないと思ったんだけどなあ。
マイケル:インターナショナルスクール時代は、みんなデカいラジカセを持ってた。よく考えてみると面白いよね。音楽を聴くなら小さいウォークマンがあったのに、無意味にデカいラジカセを肩に担いで、歩いていた。
ゴメス:ラジカセといえば、竹の子族ってのもありましたね。いずれにしろ、みんな音にはこだわってましたね。一人暮らしのコなんか、部屋にテレビがなくてもミニコンポ(※3)だけは必ず置いてあった。
音と選曲にこだわったマイテープ制作
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『80's青春男大百科』 マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る! |
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