「80年代は洋楽の基礎知識量がそのままモテにつながる時代だった」マイケル富岡
インターナショナルスクールに通いつつ、10代でモデルやDJとして活躍していたマイケル富岡(1961年生まれの55歳)。関西の大学でテニスサークルに所属し、最大公約数的なキャンパス生活を過ごしながら卒業後に就職のため上京。画材屋でレジを打つ毎日だった山田ゴメス(1962年生まれの54歳)。埼玉県の大学に通うため三重県から上京。学生時代はミニコミ誌制作に明け暮れ、その流れで出版社に潜り込み、編集者として働くようになった石原壮一郎(1963年生まれの53歳)。甘えと責任がアンニュイに絡みつく10代前半から20代を80年代とともに過ごした彼らの目に、バブル経済へと向かう時代の高揚感や光景は、どのように映っていたのだろう?
マイケル富岡(以下、マイケル):1980年っていうと、僕は18歳くらい。ちょうど東京のインターナショナルスクールを卒業した年で、すでにモデルをやっていたんだけど、とにかく楽しかったなあ。週末はもうカーニバル状態で(笑)。毎週末、必ずどこかでパーティがあった。クラスメイトだったりとか、友だちの家だとか、知り合いがクラブで主催していたりとか……。
山田ゴメス(以下、ゴメス):それって高校生時代の話ですよね?
石原壮一郎(以下、石原):想像すらつかない日々ですね。そのころ我々はといえば、田舎の高校で学生服を着て、女のコと手もつなげずに……。
ゴメス:まだ童貞でしたしね。
石原:当たり前ですよ!
ゴメス:で、高校を卒業してからも、そのカーニバル状態は続いたわけですか?
マイケル:そうだね(笑)。姉がTVK(テレビ神奈川)で音楽番組をやっていたから、僕は高校のときから呼ばれてもいないのに毎週のようにスタジオに足を運んでいた。そこで、いろんなアーティストに会ったね。そういえば当時、ミニFMブーム(※1)っていうのがあったでしょ?
石原:名前だけは聞いたことあるんですけど……。
マイケル:当時は電波の範囲は狭いけど、小さなFM局がたくさん出てきたんだよ。そこで「英語で曲を紹介してくれないか」みたいな感じで、バイリンガルだった僕によく声がかかるようになりはじめた。そこから運良くMTV(※2)で起用されたわけ。
ジャケ買いで失敗を繰り返し、コツコツと音楽の知識を深めたよ
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『80's青春男大百科』 マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る! |
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