LINEはもちろんスマホもケータイもない80年代はどうやって待ち合わせしてた?
インターナショナルスクールに通いつつ、10代でモデルやDJとして活躍していたマイケル富岡(1961年生まれの55歳)。関西の大学でテニスサークルに所属し、最大公約数的なキャンパス生活を過ごしながら卒業後に就職のため上京。画材屋でレジを打つ毎日だった山田ゴメス(1962年生まれの54歳)。埼玉県の大学に通うため三重県から上京。学生時代はミニコミ誌制作に明け暮れ、その流れで出版社に潜り込み、編集者として働くようになった石原壮一郎(1963年生まれの53歳)。甘えと責任がアンニュイに絡みつく10代前半から20代を80年代とともに過ごした彼らの目に、バブル経済へと向かう時代の高揚感や光景は、どのように映っていたのだろう?
山田ゴメス(以下、ゴメス):80年代当初は携帯電話もスマホもなかったから、女のコと連絡を取るのがひと苦労。「家に電話をかけてお父さんが出たらどうしよう」的なもどかしさが、スリリングでたまりませんでした。
石原壮一郎(以下、石原):お父さん問題は大きな壁でしたね。なので一人暮らしの女のコは、今の何倍も価値があった。マイケルさんは、そんな庶民の悩みとは無縁だったかもしれませんけど……。
マイケル富岡(以下、マイケル):そんなことはないよ! 実家暮らしの女のコに電話するときは「何時くらいに電話するから、直接出てね」って約束し合ったりしてた。留守電になることも想定して、事前に洒落たセリフを考えたりもしていた。
石原:留守電にうろたえて、変なメッセージを入れちゃったりするとダサイし、かといって録り直しもできない(笑)。
マイケル:あのころは「女のコから電話番号を聞きだす」って行為が、第一ステップとして相当重要だった。そこで「ノー」だったら、「あなたには見込みがない」って宣言されているようなもの。だから電話番号を聞くときは、いつもドキドキしてた。
石原:「うちはお父さんが電話に出るから、番号はちょっと言えないの……」。ガクーンみたいな(笑)。やんわりした断り文句ほど、軽くあしらわれた感が見え隠れして、よりヘコんじゃうんですよね。
ゴメス:昔の女のコのほうが、興味のない男からのアプローチを断るのが楽だったのでは? スマホ時代の今は、連絡先の交換法が手軽すぎて、逆に断りようがないじゃないですか。「LINE教えて」とお願いされて、「ダメ」とはなかなか言えないですからね。
電話番号を手に入れる=デートOKのサイン
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『80's青春男大百科』 マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る! |
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