ネバー・ライ、ネバー・チート、ネバー・クイット――フミ斎藤のプロレス読本#060【カール・ゴッチ編エピソード8】
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
カール・ゴッチ家の門のすぐよこには“FOR SALE(売家)”と書かれたトタンの立て看板が置かれていた。
ゴッチ先生は、住み慣れたフロリダ州オデッサの家を売りに出していた。ワイフのエラさんが亡くなってからは家のなかがずいぶんガランとしてしまった。
使わなくなった家具はほとんど処分したし、2台あった自動車のうちの1台は知り合いに譲った。
「6月25日、午前4時」とゴッチ先生はつぶやいた。そのまえの晩、ゴッチ先生は急に容体が悪くなったエラさんをタンパ市内の大学病院に連れていった。
ドクターは緊急入院を決め、エラさんは集中治療室に運ばれたが、看護師から「ここには泊まれませんよ」と告げられたゴッチ先生はそのままとぼとぼと家に帰ってきた。
明け方にベッドのわきの電話が鳴りはじめたときには、それが悪い知らせだということがすぐにわかった。
「あの娘は19歳になったばかりで、わたしは21歳だった」
故郷ベルギーのアントワープからはじまって、ドイツ、イギリス、カナダ、オハイオ、日本、ハワイ、カリフォルニア、フロリダとレスリングが盛んな土地をさすらいつづけたゴッチ先生のすぐそばには、いつもエラさんがいた。
日本プロレス協会の専任コーチをしていたころは、1年ほど東京・目黒に住んだこともあった。ふたりは50年もいっしょに暮らし、最後の最後まで仲がよかった。
エラさんの病気は皮膚ガンだった。じつは、ゴッチ先生も同じ病気にかかっている。フロリダの太陽を20年以上も浴びたせいかもしれない。でも、レスリングの神様は体力には自信があるし、ガンくらいでどうにかなってしまうなんてこれっぽちも考えたことはない。
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