故郷アズベリーパーク――フミ斎藤のプロレス読本#066【バンバン・ビガロ編エピソード1】
ビガロが運転する4WDのトラックで町のなかを走っていると、すれちがう車のほとんどがクラクションを鳴らしていく。こちらに向かって手を振る子どもたちもいる。
「この町じゅうの人たちがオレを応援してくれてるんだ。アズベリーパークから出た成功者はブルース・スプリングスティーンとオレだけなんだとさ。トム・クルーズ、ジョン・ボンジョヴィ、ジャック・ニコルソンなんかがとなりの町の出身なんで、みんなカリカリしてるんだ」
トム・クルーズ? ボンジョヴィ? ジャック・ニコルソンだって? なんなんだろう、この町は。スプリングスティーンとビガロだけだって?
「成功するためにはな、この町から出なくちゃいけねえんだ。なあ、ニューヨークなんてそぐそこじゃねえか」
車はあっというまに裏通りのタトゥー・パーラーのまえに着いた。看板には“ボディー・アート・ワールド”と記されている。
オーナーのジーンさんが出迎えてくれた。両腕、両肩、首の両側(たぶん背中もおなかも)にさまざまな模様のタトゥーがびっしりと彫られているけれど、コワい感じではなくて、やさしそうな目をしている。年齢は40代後半から50代前半くらいだろうか。どちらかといえば芸術家タイプなのだろう。
ビガロがこのショップで初めてタトゥーを彫ったのは16歳――ビガロのコメントによれば――のときだった。どう考えても、フツーの高校生ならそういうことはしないだろうけれど、スコット少年はいきなりひとりでジーンさんを訪ねたのだという。
アルバイトをしてお金を貯めては、数カ月にいちどずつここへ来て、アートの数を増やしていった――。ビガロとジーンさんはかれこれ15年くらいの付き合いになる。
「日本では入れ墨はマフィアのシンボルみたいなもんなんだろ。こっちでは、あくまでも体のアクセサリーなんだぜ」
ビガロは、イーストコーストのタトゥー・カルチャーをできるだけわかりやすく解説してくれようとした。ビガロのよこでニコニコしていたジーンさんは、ビガロがマフィアという単語を出したとたん“プッ”と吹き出した。
たしかに、両腕に碇(いかり)の入れ墨があるポパイはセーラーマンであってマフィアではない。頭のてっぺんに彫った炎のタトゥーがビガロになんらかのパワーを与えていることは事実なのだろう。
“ボディー・アート・ワーク”を出て町の中心まで来ると、ビガロが「“ストーン・ポーニー”に寄っていこう」といい出した。
“ストーン・ポーニー”という酒場は、ビガロがプロレスラーになるまえにバウンサー(用心棒)として働いていたところで、毎晩のようにライヴバンドの入るにぎやかなお店だ。その夜は、元イーグルスのジョー・ウォルシュのライヴがあるという。
一瞬、耳を疑った。こんなちいさなライヴハウスで本物の“ホテル・カリフォルニア”が聴けるかもしれないのだ。ジョー・ウォルシュは、1970年代のスピリットを布教してまわるロックの伝道師である。
真っ昼間からビールを飲まされたせいか、いちどにいろいろなものを目撃しすぎたせいか、頭がボーッとしてきた。
アズベリーパークはイーストコーストのちいさな港町。「成功したければ町を出ることだ」とビガロは語った。
ニューヨークは、近いような遠いようなビミョーな距離だ。乾いた潮の空気が顔にぶつかった。(つづく)
※文中敬称略
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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