ヒクソン・グレイシー「わたしは最強なんかじゃない」――フミ斎藤のプロレス読本#108【特別編】ヒクソン・グレイシー
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
1995年
ヒクソン・グレイシーは笑顔の達人である。いつもいつも怖い顔ばかりしているのかと思ったら、ほがらかな笑みもそうとうの迫力だった。
ヒクソンとその家族は『バーリ・トゥード・ファイティング・チャンピオンシップⅡ ジャパン・オープン’95』が開催される10日もまえに日本にやって来た。決戦直前まで山ごもりをするためだ。
ヒクソン本人は山ごもりをシンプルに「ゴー・トゥー・マウンテンズGo to mountains」と表現していた。
英語のたどたどしさは、カール・ゴッチのドイツなまりと相通ずるところがある。ヒクソン一家がブラジルからカリフォルニアに移り住んだのは1989年。グレイシー柔術の道場を開くために“新大陸”アメリカへ渡った。
英語での日常会話だったらキム夫人のほうが得意だし、長男ハクソンくんはいつもお父さんのイングリッシュの発音を直してくれる。
『週刊TVプロレス テイキング・バンプ』用のインタビュー収録のためテレビ東京の本社ビル7階の会議室に姿を現したヒクソンは、にっこり笑ってスタッフのひとりひとりと握手を交わした。
マネジャー役のキム夫人の顔は『格闘技通信』のグラビアでみたことがあるし、同行してきたホイラー・グレイシーは兄ホイスと瓜ふたつだからファミリーのひとりだということはすぐにわかった。
ヒクソンは、なんでも聞いてください、といってから感じよくカウチに深く腰かけた。もちろん、質問したいことは山ほどある。
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