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STING=激痛――フミ斎藤のプロレス読本#107【特別編】STINGスティング

STING=激痛――フミ斎藤のプロレス読本#107【特別編】STINGスティング

『フミ斎藤のプロレス読本』#107【特別編】は「STING=激痛」。1989年、待望の初来日(全日本プロレス)を果たしたときのインタビュー記事から再録(PhotoCourtesy:Fumi Saito)

 1989年  約束の時間より10分も早く、スティングは待ち合わせ場所の喫茶店にやって来た。  襟とそでの部分を無造作にハサミで切りこんだグレーのスウェットシャツ――胸には“ゴールド・ジム”のロゴがプリントされている――の下にピンク色のタンクトップを着て、ホテルのなかだというのに真っ黒なサングラスをかけている。  これがLAスタイルというものなのだろうか。ボディービル雑誌の広告ページからそのまま飛び出してきたような格好だけれど、ロサンゼルスのなかのある一部エリアでは、ハサミで切り刻んだTシャツの切れめから鍛え上げた筋肉をちらつかせながら街を歩く若い男性の姿をそこらじゅうでみかける。  1970年代の終わりにちょっとだけヒットした映画『カリフォルニア・ドリーミング』のなかで、身体が貧弱で肌の白いシカゴ生まれの主人公がビーチで仲間はずれにされてしまうというシーンがあったが、フィットネス文化の発信地LAでは、こんがり日焼けした筋肉美でないと海岸を歩いてはいけないという暗黙のルールさえあるらしい――。  スティングの本名はスティーブ・ボーデン。つい4年まえまではLA郊外ノースリッジにあるゴールド・ジムでインストラクターとして働きながら、ほとんど1年じゅうベニス・ビーチで日光浴ばかりしていた。 「生まれも育ちもベニス・ビーチ。高校はベニス・ハイスクール。生まれてからいちどだって海のそばから離れようと思ったことはなかった。カリフォルニアほどいいところはないよ」  ベニス・ビーチはゴールド・ジム発祥の地。あのアーノルド・シュワルツェネッガーがボディービルダー時代にホームベースにしていたのもベニス・ビーチのゴールド・ジムで、ハルク・ホーガンも公式プロフィル上は“ベニス・ビーチ出身”。スティングは、正真正銘のビーチボーイということになる。  ホーガンがニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンでアイアン・シークを破りWWE世界ヘビー級王座を初めて手にした1984年1月、ゴールド・ジムのインストラクターだったスティングは、プロのボディービルダーとして“ミスター・アメリカ”のカリフォルニア選抜にエントリーしたが、わずか3ポイント差で全米選手権出場を逃した。 「あれから半年くらいたってからじゃなかったかな、ぼくのジムにスカウトが来たのは。スカウトといってもハリウッド映画じゃなくて、プロレスラーにならないかという誘いだよ」  スカウトに来たのはサンフランシスコでレスリング・スクールを開いていたレッド・バスチェンの友人で、すぐにでもリングに上がれる体を持った若者をふたり探していた。すでにパワー・チームUSAというチーム名も決まっていて、スカウトはその“中身”を発掘しようとしていた。  スティングは、同じゴールド・ジム系のボディービルダーのジム・ヘルウィグといっしょにバスチェンに会ってみることにした。ヘルウィグとはその後2年間、タッグ・パートナーとして行動をともにすることになる。 「トレーニング・キャンプは8週間のコースで、月曜から金曜までが1日3時間、土曜と日曜は6時間ずつというメニューだった。ボディースラムとかフライングメーヤーとか、マットに投げられる練習ばかりだった」  キャンプの同期生にはカナダのカルガリーから入門してきたデーブ・シェルダン(エンゼル・オブ・デス)とスティーブ・デサルボがいた。3人に囲まれてみると、スティングは自分の体がちいさくなったように感じた。  約2カ月間にわたる養成期間が終わると、シェルダンとデサルボはカルガリーに帰り、スティングとヘルウィグは予定どおりタッグチームを結成することになった。いつのまにか、チーム名はパワー・チームUSAからフリーダム・ファイターズに変わっていた。 「トレーニング・キャンプを卒業したのはいいけど、なかなか仕事がないんだ。プロレスラーという仕事は、働く場所を自分で見つけなければならないってことがそのときわかったんだ」  レスリング・ビジネスのスタート地点に立ったスティングとヘルウィグは、慣れない手つきでタイプライターをたたいてバイオ(プロフィル表)をつくり、自分たちの顔写真、全身写真つきのプローモーション・キットを印刷し、それをバスチェンから住所を教えてもらったアメリカ各地のローカル団体に郵送した。  プロレスラーになってこれほどマメな就職活動をすることになるとは夢にも思わなかった。 「ぼくたちを使ってくれるプロモーターがいなくて、やっぱりプロはたいへんだよななんて思いはじめていたところにテネシーのジェリー・ジャレットから電話がかかってきた。ぼくとヘルウィグをふたりいっしょに雇ってくれるというんだ。まあ、ギャランティーは決していいとはいえなかったけど、とにかくどこかからはじめるしかなかった」
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フリーダム・ファイターズとしてのデビュー戦
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⇒連載第1話はコチラ

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