“伝説の男たち”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<プロローグ>
約170年の歴史をいくつかのブロックに分類するとすれば、19世紀後半の50年、20世紀前半の50年と後半の50年、そして21世紀の約20年というふうに区切っていくとわかりやすいかもしれない。
アメリカから日本にプロレスが輸入されたのは第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)だから、日本のプロレス史はアメリカのプロレス史の3つめのブロックから派生したものと考えていい。
アメリカで最初の職業レスラーで、19世紀末のプロフェッショナル・レスリング創成期のスーパースターは“プロレスの父”ウィリアム・マルドゥーンという人物だった。
この“プロレスの父”というニックネームには、興行スポーツとしてのプロレスの発祥、メディア・イベントとしてのプロレスの生成に深くかかわった歴史的な存在というニュアンスがこめられている。
20世紀のアメリカのプロレスは、1908年にシカゴで開催された“家元”フランク・ゴッチ対“ロシアのライオン”ジョージ・ハッケンシュミットの統一世界ヘビー級選手権からはじまった。
ゴッチはアメリカのチャンピオンで、ハッケンシュミットはロシアのチャンピオン。“世紀の一戦”から3年後の1911年、再びシカゴでおこなわれたゴッチとハックの再戦はホワイト・ソックス・パークに2万5000人の大観衆を動員した。
まだテレビもラジオもなかった時代に、すでにプロレスはベースボール・スタジアムをいっぱいにしてしまうほどの人気スポーツだった。
第一次世界大戦後の“狂乱の20年代”と呼ばれた1920年代はエド“ストラングラー”ルイス、ジョー・ステッカー、スタニスラウス・ズビスコという3人のスーパースターの時代。プロレス興行がアメリカじゅうの都市部でつねに1万人クラスの観客を集めた。
“大恐慌”の1930年代、第二次世界大戦があった1940年代もプロレスはそのポピュラリティーを保ちつづけた。
1950年代からはアメリカのプロレス史と日本のプロレス史が“あざなえる縄のごとき”関係となっていく。
プロレスが純粋なコンテスト=競技であるか、あるいはスポーツとエンターテインメントの“混血”かという議論は19世紀の終わりからずっとくり返されてきた。
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