“伝説の男たち”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<プロローグ>
プロレスとは、永遠につづくひとつの物語である。プロレスラーとプロレスの試合が“プロレス”という終わりのないドラマをつくってきた。
アメリカでプロレスがプロレスになったのは1850年代ごろ――フランスでは1820年代にすでに興行としてのプロレスリングがスタートしていた――といわれている。その歴史は約170年だ。
古代エジプトにスポーツ競技としてのレスリングが誕生したのは紀元前3000年ごろで、有史最古のオリンピックでレスリングの試合がおこなわれたのは紀元前776年ごろ。
レスリングを職業とする“プロレスラー”が初めて出現したのは古代ローマ時代の紀元前600年ごろとされる。もちろん、これはレスリング=格闘技の歴史である。
古代エジプトや古代ローマの格闘技と現在進行形のプロレスがまったく無関係かというとじつはそうではない。
特別な技能を持った大男たちが全裸に近い姿で観客のまえに現れ、武器を持たず、肉体だけをぶつけ合って闘う。観客はそれを観て、驚き、興奮したり、感動したり、拍手をおくったり、大喜びしたりする。
スペクテーター・スポーツとしての定義においては、プロレスのルーツはやっぱり“壁画”に残された古代格闘技ということになる。
アメリカ合衆国の第16代大統領エイブラハム・リンカーンが“プロレスラー”だったことはよく知られているが、リンカーンが体験したのはどうやらレスリングの“賞金マッチ”のたぐいだった。
1830年代の新聞のスクラップからは、リンカーンがプロレスラーだったことを証明するいくつかのデータを発見することができる。
文献として残されている最古のプロレスのタイトルマッチは、1866年5月にニュージャージー州ニューアークでおこなわれたカーナル・ジョームズ・H・マクラフリン対ルイス・エインズワースのアメリカン・カラー・アンド・エルボー選手権だったといわれている。
カラー・アンド・エルボーと呼ばれるレスリングの“組み方”の基本ポジションは、現代のプロレスにそのままの形で残されている。
プロレスはさまざまな進化と“品質改良”のプロセスをへて、現在あるプロレスにたどり着いた。プロレスはあくまでもプロのレスリングだから、グローブをはめて顔面を殴りあう競技だったことはいちどもない。
ほかのスポーツのように万国共通のルールがあるわけではない。プロレスラーが100人いれば100通りの“やる側の定義”があるし、観客が100人いれば100通りの“観る側の定義”がある。そういう意味では、ひじょうに自由な発想が許されるスポーツととらえることもできる。
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