更新日:2018年05月11日 18:56
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17歳で3000万円の借金を背負った「ミスiD」起業家アイドルの生き方

栄藤仁美――その後はどういった道を選んだのですか? 栄藤:立ち直るきっかけがほしかったんですけど、何をやっていいかわからない。そんなときに、たまたまあるレコード会社のプロデューサーの方から、「音楽に学歴は関係ないから、ウチで働かないか」って誘っていただいて。ADから始まって、徐々にディレクターをやらせてもらうようになりました。 ――そこから起業へは、どうつながるのでしょうか? 栄藤:レコード会社で働き始めて1年くらい経った頃に、「自分でお店を出さないか」というお話をいただいたんです。花街でバーをやるということで、ガッツリ借金をして、従業員も雇って。実際に、お金がどうやって流れているのかを、身をもって知るチャンスだと思ったんです。  昔からお世話になっていた方が保証人になってくれたので、3000万円以上の借金をしました。 ――さ、3000万円ですか?……スゴいですね。 栄藤:これはすごい良い勉強になりましたね。17歳の自分にとっては、途方もない金額なので、「返せないんじゃないか…?」って不安で、胃に穴を空けたこともあります(笑)。  このときに、「借金をしなさい」じゃなくて、「お金を出してあげる」って言われてたら、また心が折れちゃっても何の責任も取らなくていい。そう思ってダメな人間になっていたはずで。自分の判子で借りたお金って、重みがぜんぜん違うと思うんですよ。  18歳の誕生日を迎えるまで、最初はお店にも立てなかったんですけど。幸いなことに従業員にも恵まれて、一度もマイナスにならなくて。今年でその店が10周年になるんですけど、当時いちばん下っ端だった子は店長をやってくれていて、元々働いてた子たちが同窓会をやっていたり、いまでも仲良しですね。  借金は3年くらいで返し終えたかったんですけど、途中で建物を直したりしながら、もうちょっとかかっちゃいました。 ――レコード会社で働きながら、バーの経営も行っていたんですね。 栄藤:そうですね。それに加えて、大学ミスキャンパスのイベント「Miss of Miss」の前身にあたるイベントの立ち上げもやっていました。レコード会社の仕事って、夜が忙しいので、昼の時間がわりと空いていて。借金が大きいので、ドキドキしすぎて夜に寝れなくなっちゃって(笑)。  何かしなきゃっていうときに、ちょうど知り合いが学生起業でイベントを立ち上げようとしていたので、一緒にやることにしました。  スポンサーを探して、ドレスも借りよう、モデルの益若つばさちゃんも呼びたい…。手作りではあったんですけど、2000万円くらいかけて、けっこう大きなイベントになったんですよ。そこで、たまたま益若さんと一緒に、「東京ガールズコレクション(※以下、TGC)」プロデューサーの村上範義さんが来て、お会いしたときに「君、おもしろいね。いい感じにアタマおかしいんじゃない?(笑)」って言われて。いい意味でぶっ飛んでるって意味なんですけど。この出逢いがあったから今の自分があったと言っても過言ではないところがあります。  そのあと、借金を返し終わったあたりで、村上さんから誘っていただいて、上京。TGCのお仕事をさせていただくようになりました。いろんなことを教えてもらって今でも頭の上がらない最高の兄であり、第2の家族です。 ――TGCでは、どんな仕事をしていたんですか? 栄藤:最初はスポンサー営業です。ただ「スポンサーになってください」って言うのは簡単ですけど、イベントで利益が出ても、配当金でお返しできるわけじゃないので、何か「やってよかった」って思ってもらえる企画を作りたいと思いまして。  CMとの連動で、若い女の子が欲しいと思える、TGCオリジナルの商品を作ったり、出演するモデルさんがプロデュースする服・化粧品・スイーツの企画を提案したり。最近はタレントさんがプロデュースする商品って多いと思うんですけど、当時はまだなかったので、新鮮に感じてもらえたんです。  私は、カナダの高校には行ったんですけど、日本では中卒。学歴では勝負できないので、アイデアやコミュニケーション力が武器だと思ってます。 ――確かに、若い女性ならではのアイデアは、年配の男性が多い経営者たちから見ると新鮮ですよね。 栄藤:そうですね。ただ、若い女性に訴求するということは、将来への投資なんです。いまお金を使える方を狙うのであれば、もう少し上の年齢を狙う必要がある。でも利幅が薄い商品だとしても、高校生のうちから「ウチのブランドはいいよ」と刷り込んでおくことで、ファンを育てることができるんです。
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「最終的には花街、伝統文化を発展させていきたい」
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