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ミスター・レスリング “正体不明”というファンタジー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第29話>

 ルー・テーズからテリー・ファンクまで、1960年代から1970年代後半までの6人の歴代NWA世界ヘビー級王者にも挑戦した。タイトルマッチの宣伝コピーはいつも“史上初のマスクマンの世界チャンピオン誕生か?”だった。  “鉄人”テーズはミスター・レスリングの実力を「プロレス史上、トップ25にランクされる」と評価し、ジャック・ブリスコもオクラホマ州立大レスリング部の先輩にあたるウッズに敬意を表した。  “まだ見ぬ強豪”といわれたミスター・レスリングは、日本でも“マスクはぎ”のドラマを演じた。  旗揚げ3年めの全日本プロレスに初来日したミスター・レスリングは『第2回チャンピオン・カーニバル』決勝戦(1974年=昭和49年5月11日、群馬・前橋)でジャイアント馬場に敗れ、試合後、みずからマスクを脱いでその素顔を明かした。  ミスター・レスリングは、プロレス史に残る大事件の“消された登場人物”でもあった。1975年10月4日、リック・フレアー、ジョニー・バレンタインらを乗せた小型セスナ機がノースカロライナ州ウィルミント近郊に墜落。  バレンタインはこの事故で再起不能となり、フレアーも全治6カ月の重傷を負った。じつはこの飛行機にウッズも同乗していた。  救急車で病院に運ばれた素顔のティム・ウッズは、ここで本名のジョージ・バーレル・ウディンを名乗った。ベビーフェースのミスター・レスリングがヒールのフレアー、バレンタインらといっしょに移動していたことがニュースになったら「プロレスはもうおしまいだ」とウッズは考えた。  それから3週間後、入院先の病院から抜け出したウッズは白マスク、白タイツのコスチューム姿でなにごともなかったかのように観客のまえに現れた。  フレアーは自伝『トゥー・ビー・ザ・マン』のなかで「ノースカロライナを救ったのはティム・ウッズ」とつづっている。ミスター・レスリングは、命がけでベビーフェース対ヒールのファンタジーを守ろうとしたのだった。 ●PROFILE:ミスター・レスリングMr.Wrestling 1933年、ニューヨーク州アイザッカ出身。本名ジョージ・バーレル・ウディン。1962年、28歳でティム・ウッズのリングネームでデビュー。1965年、白マスクのミスター・レスリングに変身。オマハ版AWA世界ヘビー級王座、NWA・USヘビー級王座、NWAサザン・ヘビー級王座ほか数多くのローカル王座を獲得。1983年、引退。2002年11月30日、心臓発作で急死。享年68。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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