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レイ・スティーブンス&パット・パターソン “金髪の爆撃機”はバンプの名人――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第28話>

レイ・スティーブンス&パット・パターソン “金髪の爆撃機”はバンプの名人<第28話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第28話は「レイ・スティーブンス&パット・パターソン “金髪の爆撃機”はバンプの名人」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 レイ・スティーブンスとパット・パターソンは、観客ではなくてレスラー仲間たちから“バディ・ロジャースの再来”と呼ばれた男たちである。

 プロレスが“強い・弱い”と“うまい・ヘタ”がタテとヨコの軸になった関数だとすると、スティーブンスとパターソンは“うまい”の座標のいちばん上のところにいたレスラーだった。

 スティーブンスは15歳(1949年)でデビューし、ゴージャス・ジョージの時代からハルク・ホーガンの時代まで現役で活躍した。

 パターソンはキワー・コワルスキーのコーチを受け16歳(1956年)でデビューし、世界じゅうをサーキットしたあと、ビンス・マクマホンのブレーンとして24年間にわたりWWEでプロデューサーをつとめた。

 パターソンのデビュー当時のリングネームは“プリティ・ボーイ”パット・パターソン。地元モントリオールではピンク色のトランクスにピンク色のリングシューズ、口紅をつけてリングに上がっていた。南部テキサスをサーキット中にこのゲイ・キャラクターを封印、典型的なヒール路線を歩むようになった。

 スティーブンスとパターソンは、いずれも身長5フィート9インチ(約175センチ)、体重230ポンド(約106キロ)のややずんぐりとした体つきで、髪はきれいにまとまった短めのブロンド。

 プロレスラーとしてのタイプもまったく同じで、バンプ(受け身)のうまい職人気質のヒールだった。

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“破滅型”のスティーブンスと“貯蓄型”のパターソン

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