ミスター・レスリング “正体不明”というファンタジー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第29話>
マスクマンは悪役という常識をひっくり返した白マスク、白タイツの正統派レスラーである。
アマチュア・レスリングではAAU全米選手権優勝2回(1955年=フリースタイル191ポンド級、1957年=フリースタイル191ポンド級)、NCAA選手権準優勝2回(1958年=177ポンド級、1959年=191ポンド級)という輝かしい戦績の持ち主で、コーネル大学、オクラホマ州立大、ミシガン州立大の3つの大学に在籍し、ふたつの学位(農業工学・機械工学)を取得したインテリだった。
プロ転向は28歳とやや遅く、デビュー当時はアマチュア時代の愛称だった“ティーニー・ティム=ちいさなティム”のティム、本名ウディンの略称ウッズをくっつけたティム・ウッズをリングネームにしていた。
無名のルーキーとしてニューヨーク、フロリダ、テキサス州アマリロ(ドリー・ファンク・シニア派)をサーキット後、1965年にネブラスカのプロモーター、ジョー・ドゥーゼックがミスター・レスリングというキャラクターを考案した。
アマチュア時代の全記録を公開したうえでの“正体不明のマスクマン”という設定だったから、その正体暴きにファンの関心が集まった。ちょっとした逆転の発想だった。
“正体不明のマスクマン”のドラマにはひとつのセオリーがある。それは、観客のまえでマスクを脱ぐ日が必ずやって来るということだ。
ネブラスカでは、マッドドッグ・バションとのオハマAWA世界ヘビー級王座をめぐる闘いでその正体を明かした。テキサスではジョニー・バレンタインとの“マスクvs髪切り”の試合に敗れ、マスクをはがされた。
新しいテリトリーに登場するときは“正体不明のマスクマン”で、テリトリーを去るときは素顔のティム・ウッズに戻るというドラマチックなフィナーレがひとつの定番パターンになった。
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