更新日:2022年12月14日 01:10
スポーツ

ニック・ボックウィンクル レスリングの“哲学者”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第35話>

 お気に入りのタイツの色は黒、マルーン(あずき色)、白、イエロー、水色の5色。リングシューズは黒とあずき色の2色だった。  ちょっと意外な感じだが、デビュー当時はウール地の黒のロングタイツをはいていた。ニック自身は「日本のファンはどうしてタイツの色にこだわるのか」といつも不思議がっていた。  カリフォルニアが好きだったニックは、30代後半から50代前半までのプロレスラーとしての円熟期を雪国ミネソタで過ごした。これも豊かな人生のなかのひとつのめぐり合わせだったのだろう。  AWAの約30年の歴史(1960年-1991年)は、その前編が“バーン・ガニア物語”で、後編が“ニック・ボックウィンクル物語”になっていた。  1970年12月にAWAと契約したニックは、親友レイ・スティーブンスとのコンビでAWA世界タッグ王座を通算3回保持したあと、41歳でガニアを下してAWA世界ヘビー級王座を獲得(1975年11月18日=ミネソタ州セントポール)。  53歳でカート・ヘニングにチャンピオンベルトを明け渡すまで(1987年5月2日=カリフォルニア州サンフランシスコ)通算4回、約13年間にわたり“北部の世界チャンピオン”の座に君臨した。  ニックはガニア、マッドドッグ・バション、クラッシャー・リソワスキーといったやや年上のチャレンジャーからビル・ロビンソン、ワフー・マクダニエルら同年代のライバルと数かずの名勝負を演じ、ハーリー・レイス、ボブ・バックランド、フレアーら別派の世界チャンピオンとのダブル・タイトルマッチも実現させた。  そして、リック・マーテル、ハルク・ホーガン、C・ヘニングら次世代のキーパーソンズは、ニックと闘いながらスーパースターに変身していったのだった。  ニックは引退試合をおこなわずにリングを下りた。現役生活のフィナーレは全日本プロレスの『サマーアクション・シリーズⅡ』(1987年=昭和62年8月)。  日本におけるいちばん有名な試合はジャンボ鶴田にAWA世界王座を奪われたタイトルマッチ(1984年=昭和59年2月23日=東京・蔵前国技館)。ニックは50歳の世界チャンピオンだった。 ●PROFILE:ニック・ボックウィンクルNick Bockwinkel 1934年12月6日、ミズーリ州セントルイス生まれ。本名ウォーレン・ニコラス・ボックウィンクル。AWA世界ヘビー級王座通算4回、AWA世界タッグ王座通算3回保持。得意技は足4の字固め、パイルドライバー、スリーパーホールド。1987年に引退後はラスベガスに在住。引退したプロレスラーとプロボクサーの親睦団体“カリフラワー・アレイ・クラブ”の会長もつとめた。2015年11月14日、死去。80歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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