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ニック・ボックウィンクル レスリングの“哲学者”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第35話>

 28歳で陸軍を除隊したあとは、ニック自身が「スーツケースひとつで世界じゅうを旅行できる仕事」と形容したプロレスの旅がはじまる。

 テキサスに1年、ハワイに1年、オレゴンに3年、ジョージアに3年。正統派のサイエンティフィック・レスラーのイメージを大切にした時代もあったし、“ビバリーヒルズ出身”のスノブなヒールを演じた時代もあった。

「相手がワルツを踊ろうとすれば私もワルツを踊る。相手がジルバを踊ろうとすれば私もジルバを踊る」という名言は、対戦相手と場所とシチュエーションによってどんなレスリングでもできるニックのリッチ=芳醇な感性を裏づけるコメントである。

 テレビの画面がまだモノクロだっころ青春時代を送ったプロレスラーは、やはりバディ・ロジャースの強い影響を受けている。

 プロレス史学における“ネイチャー・ボーイ”ロジャースの再来はリック・フレアーということになっているが、1949年生まれのフレアーはロジャースの全盛期の試合は目撃していない。

 ロジャースの生の試合をまじかで観ていたニックは、1970年代にロジャース・スタイルを復刻した。

 きれいにまとまったブロンドの髪はロジャースとまったく同じ形のポンパドゥールで、リングに上がってくるときに右手に持つ純白のスポーツタオルもロジャースのトレードマークだった。

 ニックは、ロジャースを知らない世代の観客のまえでひとつのスタイライゼーション=様式としてのロジャースをひじょうにさりげなく演じた。

 ロジャース・スタイルとは、ベビーフェースを輝かせ、観客を手のひらに乗せ、アリーナに一体感をつくり出し、試合が終わってみたらto be continuedになっているプロレス。かんたんにいえば、負けそうで負けないヒールのチャンピオン像ということになる

 まったくといっていいほどスープレックス系の大技を使わないレスラーだった。

 アメリカン・スタイルの基本中の基本とされるカラー・アンド・エルボーのロックアップは“パチン”という音とともにはじまり、サイド・ヘッドロックからハンマーロック、ハンマーロックからリストロック、リストロックからアームロックと、その動きはまるでチェスのゲームのような連続性のある“旋律”になっていた。

 これは“チェーン・レスリング”(鎖のようにつながったレスリング)と呼ばれる万国共通のプロレスラーのボディー・ランゲージで、腕と腕をからませ合っただけでおたがいの技量・力量が瞬時に判断できるのだという。

 ニックは、ワルツしか踊れないレスラーとはワルツしか踊らず、ジルバしか踊れないレスラーとはジルバしか踊らなかったが、ほんとうはタンゴでもブギウギでもなんでもござれだった。

 レスリングの試合を起承転結からなるひとつのストーリーととらえ、ストーリーと関係のないムダなムーブをできるだけ制限し、場ちがいな大技で“寄り道”をつくらなかった。

 つねにセオリーに則った動きを徹底していたから、結果的に大きなケガをすることもなかった。

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日本のファンはどうしてタイツの色にこだわるのか

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