1990年代、若者やゲイの支持で世界的リバイバル
活動停止後、メンバーはそれぞれソロ活動を行なった。特に女性二人、アグネッタとフリーダはアバから離れてソロアルバムをリリース。スマッシュヒットを記録したものの、アバの時代ほどの成功とはならなかった。一方、男性二人、ビョルンとベニーが制作したミュージカル・アルバム「Chess」は大ヒットを記録。その後もずっとミュージカル作品を作り続けていくことになる。
80年代の後半になると、アバの曲は、移り変わりの激しい音楽業界の中で、「懐かしのヒット曲」「カタログ作品」として扱われていくことになる。
ところが90年代に入ると、アバの音楽に影響を受けた世代が彼らの曲を蘇らせ、世界的なリバイバル現象が起こったのだ。
1992年、イギリスの2人組のポップデュオ、イレイジャーが、「アバエスク」という4曲入りのカバーアルバムを制作。カバー曲「テイク・ア・チャンス」がイギリスでNo.1になり、全世界で大ヒット。
またその年の秋、全世界共通のベスト・アルバム「アバ・ゴールド」をリリース。こちらも世界中で大ヒットを記録。現在までに約3000万枚を売り上げている。活動していた時にはあまり評価されていなかったアメリカをはじめ、世界的にリバイバルブームが起こり、アバの再評価が高まったのだ。
またゲイ・カルチャーの中でもアバの楽曲の評価が高まった。熱狂的なファンが多かったオーストラリアで制作された、三人のドラァグ・クイーンが旅をする映画『プリシラ』(1992)では、アバのヒット曲「マンマ・ミア!」に合わせて踊るシーンも話題になった。
大ヒット曲「ダンシング・クイーン」や「ギミー! ギミー! ギミー!」などは、ゲイ・アンセムとしても有名だ。同じくオーストラリア制作の『ミュリエルの結婚』(1994)という映画でもアバのヒット曲が劇中で使用された。
舞台・映画『マンマ・ミーア!』ヒットの鍵は「歌詞の翻訳許可」
そんな世界的なリバイバルブームの中でもアバは決して再結成をしなかった。しかし、あるプロジェクトがアバの曲に新しい命を吹き込むことになる。それがミュージカル「マンマ・ミーア!」だった。
「マンマ・ミーア!」は、ギリシャの美しい島を舞台に、結婚する娘の父親探しをする母娘の物語をコメディタッチにしたストーリーだ。このミュージカルは、オリジナルのメロディはそのままに、全編ストーリーに沿った歌詞に“衣替え”した22曲で作られている。
1999年にロンドンで初演。2001年にはブロードウエイに進出し、2002年には日本の劇団四季による上演がスタート。2016年までにイギリス、アメリカ、日本、それぞれの国で3000回を超える公演数を記録した。
これだけのヒットミュージカルになった理由には、メロディはそのままで、それぞれの国の言葉に例外的に歌詞を翻訳する許諾を与えたということにある。「マンマ・ミーア!」は22カ国の言語に翻訳され、世界6大陸、50カ国以上で上演され、現在でも毎日、世界中のどこかで上演されているのだ。
その人気がハリウッドの映画業界に飛び火、2008年にメリル・ストリープ主演で「マンマ・ミア!」は映画化された。サントラ盤も大ヒットを記録。ストックホルムで行われた公開プレミアでは、ついにアバメンバー4人全員が揃って公の場に登場した。
アバ博物館にショーに、いまや一大観光資源
多くの観光客が訪れるアバ・ザ・ミュージアム(写真/筆者提供)
2013年には、ストックホルムに全館アバづくしの「
アバ・ザ・ミュージアム」がオープン。
また、2016年にはストックホルムの大きなレストランで「
マンマ・ミーア・パーティ」というショーが始まった。食事をしながらショーを見たり、アバの曲に合わせて観客が踊ったりするパーティだ。アバはいまや一大観光資源なのだ。
マンマ・ミーア・パーティ(写真/筆者提供)