東日本大震災の翌日に人生を賭けたライブがあった<マキタスポーツ芸人21年史 その3>
そしてマキタたちは勝負に出る。2011年に銀座の博品館でライブを行うことを決め、そのプロモーションに全力を注ぐ。『週刊SPA!』でも佐野元春さんとの対談を行うなど、「機運も仕込みもばっちり」という状態だった。だが、そのライブの開催日は3月12日だった……。
正直に書こう。あの震災の日、翌日のライブをやるかやらないかを協議している様子がマキタのツイッターで報告され、そして翌日の中止が決まったときには「いよいよこれから、という日にマキタさんはなんと運がないんだ」と思ったものである。もちろん、それから日本はお笑いライブどころではない状況になっていくのだが……。
「でもね、時代の裂け目みたいなところから俺は生まれていると思うんですよ。2011年の震災があって、お笑いに対する空気感、機運が変わってしまった。だから、世の中に受け入れられた部分もあるのかな、とも思っています。結局、震災から半年後の9月12日に中止していた『オトネタ3』というライブを博品館でやって、その公演をみたTBSのプロデューサーの方が『金スマ』に出てくれと言ってくれて、2011年の年内に収録を終え、2012年1月に『十年目のプロポーズ』というヒット曲の法則ネタを楽曲にしたものが発売されて……。いよいよ『マキタスポーツ』という不可思議なパフォーマーが認知されていくことになるんだよね」
こうしてマキタは世間に認知され、そして本人も予想外に役者としての評価を受けたり、ラジオパーソナリティなど活躍の場を増やしていくが、そのきっかけにもまたマキタならではの独特なやり方があったのだ。(続く ※その4は明日更新予定)
取材・文/織田曜一郎(週刊SPA!)
1
2
『すべてのJ-POPはパクリである 現代ポップス論考』 「ヒット曲にはカノン進行が多い」を世に知らしめた名著が文庫化! |
この特集の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ