今年3月、Webで伝説のギャル雑誌『
egg』が復活した。90年代より渋谷カルチャーを牽引し、ギャルならずとも一度は目にしたことがあるだろう有名誌である。とはいえ、2014年に惜しまれつつも休刊。情報発信の舞台をWebに移行し、今後はどのようにトレンドを作っていくのか再び注目を集めているが、当時活躍していたモデルは今どうしているのだろうか?
数メートル先でも分かる高身長に小顔、そして大きな目。かつて『egg』の看板モデルとして活躍した
田中愛奈(たなかあいな)さん。10代の頃から誌面に登場していた彼女も今年で30歳を迎えた。当時を振り返ってもらいつつ、雑誌休刊後から現在、そして将来について聞いてみた。
かつて雑誌『egg』(大洋図書)のメインモデルとして活躍した田中愛奈さん(30歳)
輝いていた読モ時代、ピン表紙まで経験
「雑誌『egg』に載るようになったのは、マルキュー(渋谷109)の前でスナップを撮られたことがきっかけですね。高3か大学1年の時に地元の友達と買い物に来たら編集部員に声をかけられて。でも、『egg』は知っていたけど、これ本当に『egg』なのかな? って。当初は
なんか胡散臭いと思ってしまって(笑)」
胡散臭いと感じた編集部員は、当時の渋谷では“名物おじさん”化するほどストリートに立ち続け、新人モデルのスカウトを行っていた人物。そんな編集部員と地元(川崎)が一緒だったことや、ギャルなのに美大に進学するという彼女の意外な経歴が買われ、様々な企画や撮影に呼ばれるようになったという。
「最初はポーズとか全然できなくて、笑顔で笑うのも無理だった。だって、いきなりポーズを決めたり笑ったりできないでしょ(笑)。でもそれが、逆にクールな感じに見えて読者にウケたみたい。徐々に企画モノやストリートスナップだけじゃなく、ファッション撮影にも呼んでもらえるようになったんです」
当時の『egg』モデルは、ストリートスナップを登竜門に、その後は何度か企画撮影に呼ばれる。そして、読者アンケートで人気がある子のみがファッションページに載ることができた。読モたちの間では、
ファッション撮影に呼ばれる=ステータスであり、人気のバロメーターとなっていたのだ。
「私たちにとって、ファッションページに呼ばれることが本当に憧れで。いつかは呼ばれたいってみんな思っていた。今だから言えるけど、他の読モが先にファッションページに呼ばれたときは、心の底では羨ましかった。読モ同士で渋谷を歩いていても、私より先に誰かが握手を求められるとヤキモチを焼いてしまったり。でも当時は充実してましたね。忙しかったけど、本当に楽しかった」
そんな愛奈さんだが、読モにとって最大の名誉でもある“
ピン表紙”まで経験している。それは、自分でも意外な写真だったという。
「使われた写真が普通のスナップとかで撮ったもので。全然キメうちじゃなかったから、本当にびっくり。しかもコーデのポイントとしてサングラスを撮ったものだから、
ピントが顔じゃなくてサングラスに当たってた(笑)。ただ両親はすごい喜んでくれて。母なんか何冊も買って親戚に配ったり、父も無関心なフリして立ち読みしていたり」
愛奈さんが表紙となった2009年3月号『egg』(画像提供:株式会社大洋図書/egg編集部)
こうしてピン表紙にもなった愛奈さん。とはいえ、『egg』は中高生向けのギャル雑誌でもある。彼女が20代半ばに向かうに連れて、出番が減少していったという。
「若い子向けの雑誌ということはわかっていたから、くるべきときがきたなぁ~って。『egg』って、はっきりとした“卒業”がないんです。たいていのモデルは年齢が上がって大人になると、だんだん服装もギャルじゃなくなってくるから、自分でも『そういえば最近、撮影に呼ばれてないな、誌面にいないな』って感じ始めて、
気付いたら卒業みたいな」
18歳から25歳までの約7年間に渡り『egg』に出演を続けていたが、モデル業に対して未練はなかった。出番が減少していく中で、自然と将来を考えるようになっていたからだ。
個性派ギャルブランドのアパレル店員もしていた彼女だが、次の仕事に選んだのは、夜のスナックだった。
「このままずっと『egg』に出られるわけではないから、何か新しいことを始めたいなって。地元のスナックで働き始めたんです。地域密着型みたいな小さな店。私はお酒も好きだし、人と話すのも好き。みんなも可愛がってくれて、本当に楽しかった。それで、自分には水商売が向いてるなって感じたの。どうせバイトするならもっと稼げた方が良いなと思って、どんどん夜の世界にハマっていきました。そして、“
いつか自分の店(スナック)を開きたい”という新しい目標ができたんです」