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まるでリアル『火垂るの墓』…農家の納屋に住んでいた姉妹の壮絶人生

毎日、近所の畑の野菜やミカンや柿を盗んでました

「そのとき、私たちを見て顔をしかめるんです。『お前ら臭いな』って。銭湯代を渡してまたいなくなる。銭湯には行かずに川で体を洗って、浮いたお金で食べ物を買いました。姉が『銭湯に行ったことにしないと、このお金までくれなくなる。そしたら死んじゃう』って。普段は、近所の畑の野菜や、ミカンや柿を盗んで食べていました」  周囲は、そんな姉妹を哀れんで、盗みを怒るどころか、握り飯を恵んでくれることもあったという。そんな生活も10歳の頃に父親が失踪し、親戚の家に預けられたことで終わる。 「お手伝いをしないとご飯を減らされました。でも頑張って手伝えば卵かけご飯にしてくれてね。あと、姉は学校に行くようになったけど、私は学校に行かずに家の手伝いばかりしていました。町で売る用のドジョウを川で獲ると、おばさんが喜んでくれてキャラメルを一個くれるの。それが嬉しくて、毎日ドジョウ獲りをしていたなあ」  預けられた親戚の家もまた、貧しかった。 「この家のご馳走はすいとんでした。大根の菜っ葉を入れて醤油か味噌で味つけしたすいとんなんですが、親戚の家族は顔をほころばせて食べていました。私たちは、その食べ残りをもらうんです」  映画『火垂るの墓』のような環境だが、沼田さん姉妹は、極貧生活のなかでたくましく生き抜いた。 「すいとん、おいしかったなあ。親戚の人もお団子、私たちの分も残してくれていましたし。すいとんを食べると、明日も頑張るぞ、いっぱいドジョウを獲るぞっていう気になるんです。いまでもたまに作って食べるんですよ。すいとんは、私にとって『幸せの味』なんです。きっと、これが『母の味』なんだろうなって」 ★沼田さんの貧困川柳『父が逃げ 姉と二人で よく生きた』 ― [泣ける貧困飯]を再現 ―
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