更新日:2018年12月19日 23:52
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「熱々牛乳のぶっかけご飯」!? 元ボクサー内藤大助、思い出の貧困飯

 幼少時代、貧困だった人間にも、苦労を笑顔に変えるご馳走があった。母が、父が、祖母が作ってくれたその料理は、質素でありながらも、彼らにとって忘れることのできない思い出として残っている。そんな「貧困飯」を、悲しくも愛情に満ちた数々のエピソードとともに紹介する感動企画。
熱々牛乳ぶっかけご飯

内藤大助さんの貧困飯「熱々牛乳ぶっかけご飯」――たまの贅沢で筋子をご飯にのせることも。濃厚な牛乳に筋子の塩っ気が絶妙にマッチする、貧困飯とは思えないグルメな味に

有名人の貧困飯・内藤大助さん「貧乏料理がツラく悲しくてどんどん食が細くなった」

 内藤大助さんが生まれた北海道豊浦町は漁港がある小さな町だった。母親は、女手ひとつで食べ盛りの2人の兄弟を育てた。 「中学時代につけられたあだ名が『ボンビー』。『母子家庭は税金で食わせてもらっている寄生虫』と言ってカツアゲされたこともありました。ボクシングを始めたのは『これ以上、イジメられたくない』という思いからでした」  まさにリアル『はじめの一歩』。内藤さんの子供時代、母親はオンボロの木造家屋を改装し、工事関係者用の安い民宿「旭」を始めた。母の口癖は「節制」と「質素」。生きていくだけ、食べていくだけで必死だった。 「だからさ、俺も家事をしょっちゅう手伝わされましたね。春になれば山菜採り、秋はキノコだな。暇があれば釣りをしてたね。それが食卓に出てくるわけ。あとは母ちゃんが近所で安く分けてもらった魚。ジャガイモも多かった」  一方、民宿で客に出す料理は豪華だったという。 「もうね、夕食頃になるとカレーライス、とんかつ、ハンバーグといったおいしそうな匂いが漂ってくる。でもお客さん用だからと、俺らには絶対に食べさせてくれないんだよ。出るのは俺が釣ったカレイの煮付けだとか、採ってきたキノコの味噌汁。そんな貧乏料理がさ、ホント、ツラくて悲しくて。それにイジメもあったから、そのストレスで、どんどん食が細くなった」

内藤家の貧乏料理は大自然の恵み

 そんなとき、母が出してくれたのが「熱々牛乳のぶっかけご飯」。 「搾りたての地元の濃厚な牛乳を熱々にしてね、白飯にぶっかける。母ちゃんが、食が細くてもこれなら食べられるだろって。これがおいしくてさ。たま~に筋子を入れて食うとさらに絶品なんだなぁ」
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ボクサーとして理想の肉体
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