デジタル

ゲーム業界に激震!そのとき何が? 平成ゲーム史衝撃10大ニュース<10位~6位>

8位 セガ、家庭用ハード事業から撤退(平成13年)

 セガがドリームキャストの生産を中止し、家庭用ハード事業から撤退を発表したのが平成13年。「スーファミよりもメガドライブ、『ドラクエ』よりも『シャイニング・フォース』」なんて、昔ちょっと斜に構えていた私にとってはショッキングなニュースでした。

ドリームキャスト

「湯川専務」の頑張りや個性的なソフト群があったものの、世界累計約1000万台と伸びず。ハードといえば“セガvs任天堂”という、初期からの構図に終止符が打たれた瞬間でした。

7位 次世代機戦争勃発(平成6年)

 平成6年はゲーム史にとってターニングポイントとなった重要な年。ポストスーファミを狙い、3月には「3DO」、11月には「セガサターン」、12月には「プレイステーション」「PC-FX」と、いわゆる“次世代機”が続々と産声をあげました。

3DO

セガサターン

プレイステーション

PC-FX

 どのハードが勝つのか、一般マスコミの報道も過熱。このときの“新しい時代が始まる”という期待に満ちた熱量はすごいものがありました。ちなみに私はセガサターンかプレイステーションか大いに迷い、周囲の「セガサターンが勝つ」という予想を聞いて、まずはプレイステーションを買いました(笑)。競馬でも中穴狙いなもので。

6位 ゲームボーイ発売(平成元年)

 平成の幕開けは携帯型ゲーム機「ゲームボーイ」からスタートしました(4月発売)。それまでも「ゲーム&ウオッチ」など持ち運べる電子ゲームはありましたが、ゲームボーイはカートリッジ式でソフトが自由に変えられるのが画期的。電車内で『テトリス』や『魔界塔士 Sa・Ga』を夢中で遊んだのを覚えています。

ゲームボーイ

 誰にも気兼ねなく、いつでもどこでもゲームができるというのは夢のようなハード。ゲームボーイはいったん下火になるものの、『ポケモン』人気によって息を吹き返し、その後「ゲームボーイアドバンス」「ニンテンドーDS」「ニンテンドー3DS」と携帯ゲーム機の歴史は続いていきます。  次回は、平成ゲーム史衝撃10大ニュースの5位~1位まで。1位はやはりあのニュース!?
ゲーム雑誌・アニメ雑誌の編集を経て独立。ゲーム紹介やコラム、書評を中心にフリーで活動している。雑誌連載をまとめた著作『はじめてのファミコン~なつかしゲーム子ども実験室~』(マイクロマガジン社)はゲーム実況の先駆けという声も
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