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『湯を沸かすほどの熱い愛』で大ブレイクした中野量太監督が明かす“人を感動させる法則”

40歳手前で借金。大勝負に出ました

――改めて、監督のこれまでの歩みについてお聞きしたいのですが。 中野:もともと何か表現することは好きだったんですよね。大学時代もバンド活動をしていたり。で、ふと表現の最高峰って何だろうと考えたとき、映画じゃねーかなって。大学3年のとき、みんな就職活動をしているなかで僕だけ「就活しないで映画監督になろうと思う」と言ったんです(笑)。それで結局、親のスネをかじって大学を卒業し東京に出てきて日本映画学校に入り直した。それまでメジャー映画以外ロクに見てこなかったので、今村昌平監督が開校した学校だったにもかかわらず、今村昌平を知らなかったという(笑)。 ――それもまたすごいですね。 中野:そこで3年生のときに初めて監督をしたんですが、それがたまらなく面白かった。おまけにその初めて撮った映画を評価してもらえて、「あれ? 俺いけるかも?」と勘違いした。そのせいで、その後ものすごく苦しむんですけどね。 ――と、いいますと? 中野:卒業して助監督になるのですが、仕事が全然できなかったんですよ。まったく向いてなかった。僕、バミリ(役者の立ち位置などを示すテープ)を剝がせなかったんです。たとえば公道とかで撮影したら最後にバミリを剝がしておかないといけないんですが、忘れちゃう。それでこっぴどく叱られて謝るんですけど、お芝居に見入ってまた忘れちゃうんです(笑)。 結局3本くらいやってやめました。それからテレビの制作会社で、料理番組や育児番組などのミニ番組を5年くらいつくっていたのですが、やっぱり映画を撮りたくなって「もう自分でつくるしかない」と自主映画を撮り始めるんです。 ――映画への夢はあきらめなかったんですね。 中野:撮ったら必ず評価されるんですけど、なかなか商売にまでは結びつかない状態がしばらく続いて。そしてついに40歳の手前で大勝負に出るんです。僕の作品を観て「今すぐお金を出してこいつに商業映画を撮らせてやろう」と思えるぐらいの自主映画を撮るしかない、と。親と友達から借りた300万円と自分の貯金100万円、僕のことを評価してくれていたプロデューサーから400万円、合わせて800万円で『チチを撮りに』を撮りました。 ――一世一代の大勝負ですね。 中野:だけど、完成した作品を配給会社に持ち込んでもまったく見向きもされない。「これはヤベえぞ、借金だけ残るぞ」と思っていたら、日本よりも先に海外で評価され、ベルリン国際映画祭に出品されてようやく日本でも評価されだした。今でも覚えていますが、試写のたびに同じ配給会社の人がどんどん観にきてくださって、最後に社長が来て「オリジナルで映画を撮ろう」と言われて「あぁ、やっときた!」と。で、今度は絶対に一発で終わらないようにと気合を入れてつくったのが『湯を沸かす~』というわけです。そのときすでに42歳でしたけど。 ※5/21発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです 【中野量太】 ’73年生まれ、京都府出身。’13年、自主長編映画『チチを撮りに』がベルリン国際映画祭ほか各国の映画祭に招待され、国内外で14の賞に輝く。’16年公開の商業長編デビュー作『湯を沸かすほどの熱い愛』が日本アカデミー賞主要6 部門を受賞するなど、高い評価を集めた。 取材・文/中村裕一 撮影/杉原洋平 撮影協力/文喫
株式会社ラーニャ代表取締役。ドラマや映画の執筆を行うライター。Twitter⇒@Yuichitter
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週刊SPA!5/28号(5/21発売)

表紙の人/ 永瀬 廉(King & Prince)

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