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水の上では先輩も後輩もある? ない?<江戸川乞食のヤラれ日記S>

SG優勝者は何人もいるが、最多勝は1人

平成7年(’95年)7月23日 第5回アサヒビールカップ 2日目 11R 記者選抜 1 浅井重良 47歳 A2 徳島 2 小玉種生 35歳 B1 東京 3 勝野竜二 23歳 B1 兵庫 4 柏野幸二 26歳 A1 岡山 5 石川 洋 61歳 B1 愛知 6 北原友次 55歳 A1 岡山 (年齢・級別は当時・県名は所属支部)  得意の1コースからの競走で、A2格付けされてはいるが北原から見ればほぼ新人のような後輩の米田にまくり潰された前のレースを見て、果たして北原はここで勝てるのか? 客の話題はそこに集約されていた。 「また動く石川と一緒か? それにまた岡山の後輩も一緒。しかもそいつは江戸川うめぇ柏野だぜ、これ北原勝てるのか?」 「もちろん北原は6号艇だし動くだろうけど、隣の石川もついてきたら内側がかなり深くなるぞ? 共倒れは勘弁してくれよ!」  それでも北原は勝負に出るはず、それを期待する客が圧倒的に多く、オッズは6号艇だが北原に人気が集中していた。  そして11Rの出走。ピット離れと同時に誰よりも早くバック水面へ向かう緑のカポック、6号艇北原は1号艇浅井よりも先に舳先(へさき)を1コースへ向かわせ、そしてあたりまえのように1コースに鎮座した。  1コースが確定した瞬間スタンドから客の歓声があがる。その姿にはプレッシャーの気配もなく、インの鬼北原友次そのものであった。  最終的な進入は612345、北原と共に内側に入ってくるだろうと思われた5号艇石川はコースがとれず6コース回り。  スリットはほぼ横一線のスタートから北原は気迫のこもった走りで、1Mでは柏野のまくりを受け止め、内側を差してきた浅井も2Mまでには決着をつけ、まくられず、差されず堂々のイン逃げを披露した。  勝利を確信した観客の声援を受けながらそのままゴール。ゴール後、その歓声に応えるようにガッツポーズを見せた北原。  ここ江戸川で、3089個目の白星を北原友次の代名詞ともいえるイン逃げで積み上げ、新たな最多勝保持者となった瞬間である。  この日デビュー以来9032走目での快挙であった。 11R 記者選抜 結果 1着 6 北原友次 1コース .17 2着 1 浅井重良 2コース .22 3着 5 石川 洋 6コース .22 4着 3 勝野竜二 4コース .19 5着 2 小玉種生 3コース .18 転覆 4 柏野幸二 5コース .14 連単 6-1 500円  2番人気 決まり手・逃げ 「終わってみればいつもの北原だったな」 「やっぱり前半は固くなってたんだな、これが北原の走りだよな」 「しかし、柏野が転覆するとは思わなかったわ。おかげで俺ぁまともに裏だぜ」 「これで3089勝か……。あとは辞めるまでどれだけ勝ち星を重ねるかって話だなぁ」 「もう、こんだけ勝てるヤツぁでてこねぇだろうなぁ……」  レース後、好き放題言うのはある意味客の特権。そして、このレースの舟券を取っても外しても、北原の偉業を目の当たりにしたという事実は変わらない。  同時に、おそらく自分が生きているうちに北原の記録を更新する可能性のある選手が現れ、そしてその選手が江戸川で最多勝更新に挑む、そんなシチュエーションが訪れることは二度とないと、客の声援に応える北原の水上パレードを見ながら思っていた。  この開催で北原は節間成績312122で優出。優勝戦は2号艇であったが、やはり1コースを奪い、トップスタートでスリットを抜け、そのまま逃げ切って優勝。自身の最多勝更新となった開催に花を添えた。  その後、北原友次は平成17年(’05年)に引退するまで、通算3417勝まで勝ち星を伸ばした。  SGの優勝者は毎年必ず数人誕生する。しかし、最多勝の更新に挑める選手は常に1人しかいない。次のその1人はいつ現れるのか?  もちろん、この記録は令和元年(’19年)9月30日現在でも破られていない。 ※平成22(’10)年度以前の話題につき当時の名称にて表記しております ※本文中敬称略
シナリオライター、演出家。親子二代のボートレース江戸川好きが高じて、一時期ボートレース関係のライターなどもしていた。現在絶賛開店休業中のボートレースサイトの扱いを思案中
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