更新日:2023年05月13日 09:51
エンタメ

タイを拠点にピンク情報から紛争地帯まで取材し続けた男たち「日本の恥」とも言われ…

タイ政府からの廃刊命令、政治混乱…訪れた危機

室橋裕和

100号のときは本誌と同時進行で別冊をつくったという。室橋裕和氏(左)とカメラマンの嶋健雄氏(右)

「出版不況のいまの時代では考えられませんが、雑誌の人気が高まるに連れてページがどんどん増えていった。それだけ広告の需要があったということです。特に100号前後はすごい勢いで。そのぶんライターも多くなり、いっきに新連載が7本ぐらい始まったこともありました。編集長と二人でこんなに回せるのかよって感じでしたが。雑誌の定価が上がっても売れ続けていましたね」  ここまでの話を聞けば、好き勝手に誌面をつくり、非常に楽しそうな印象を受ける。
ばんこく麺遊記

誌面がデカデカとポスターになって店に貼られることも

 しかし、雑誌の知名度が増し、影響力が大きくなるほど駐妻からは「日本の恥!」と叩かれた。浮気の原因、夫婦喧嘩の元凶。Gダイを所持していたという“Gダイ所持罪”で妻から裁かれた旦那は数知れず……。 「僕としてはエロ本をつくっている気はまったくなかったんですよ。エロいのは広告ページだけの号も少なくなかったので、エロ本呼ばわりされると納得いかない。ただ、バンコクの紀伊国屋書店では、グラビア系の週刊誌などは売られているのに、何度営業に行っても絶対にGダイアリーは置いてくれませんでした。その理由は、あまりにも駐妻からのクレームが多かったせいだと言われています」
日本の恥・100号記念

『Gダイアリー』100号記念では、駐妻たちの声を企画に

 コンプライアンス的に問題視されることも増えた。基本的には好きなように誌面をつくっていたが、タイは日本ほど表現の自由がない国である。国内の発行物はすべてタイ政府にチェックされ、「廃刊命令」を通告されたこともあった。内容の詳細は割愛するが、結局、同時期にクーデターが起こったことでうやむやになり、事なきを得たという。とはいえ、政変に翻弄されることも多かったのだ。 「実際に自分が住んでいる場所が戦場になりデモやクーデターが起こると、大きな不安やストレスになります。特に2010年前後の政治混乱(※)では、あちらこちらで爆弾が爆発して、楽園だったタイがひどい有様だった。生活圏や取材先にも影響を及ぼし、スケジュールが読めなくなって仕事が手につかなくなった。歓楽街では閑古鳥が鳴いている。そんな状況下では観光客や駐在員も減りますし、雑誌に広告も集まりません。売り上げもどんどん下がっていく。  また、僕たち日本人はタイで税金を払っているにもかかわらず、参政権は与えられていないので……取材で対立していたどちらの言い分も聞きましたが理解できなかったし、政治なんてくだらないと思っていた。それよりも安心して暮らしたかった。それは当時、Gダイを辞めて帰国を考える一因にもなりましたね」 (※)バンコク各地を占拠したタクシン派デモ隊を軍が武力鎮圧。100名以上の死者が出た。また、デモ取材にあたっていた日本人ジャーナリストが死亡する事件も起きた。
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『週刊文春』を辞めて海外逃亡
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ライター・編集者。著書に『海外アングラ旅行』『実録!いかがわしい経験をしまくってみました』(共に彩図社)など。執筆協力に『旅の賢人たちがつくった海外旅行最強ナビ【最新版】』(辰巳出版)がある。Twitter:@gold_gogogo

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バンコクドリーム 「Gダイアリー」編集部青春記
バンコクに編集部を置き、「日本の恥!」と駐妻たちに目の敵にされた伝説の雑誌「Gダイアリー」。 その編集部員が綴るウソのような舞台裏。あの熱量はなんだったのか?
●発売記念トークイベントが開催!
1月16日 旅の本屋のまど(西荻窪)
1月31日 阿佐ヶ谷ロフトA
2月8日 タイ・バンコク
2月19日 高円寺パンディット
2月21日 ロフトプラスワンWEST(大阪)
※詳細は室橋裕和氏のTwitter(@muro_asia)からチェック!
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