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<純烈物語>押し寄せる報道陣。スキャンダル発覚時裏方はどう動いたのか<第36回>

純烈大江戸

<第36回>スキャンダル時に要のマネジャーが不在「苦しい時に逃げることはできない」

 事実は一つであっても、真実もそうとは限らない。立場や視点によって、同じ物事も違って見える方がむしろ必然なのではないか。なぜなら、それが人間というものだから――。  純烈史を語る上で消すことのできない元メンバー・友井雄亮のスキャンダルは、これまで酒井一圭をはじめとするメンバーの口から数え切れぬほど語られてきた。ただ、そこにかかわったのは彼らだけとは違う。所属事務所のスタッフ、さらにはレコード会社の社員という立場ながらアーティスト担当・新宮崇志もその渦中へと飲み込まれた。
新宮マネジャー

クラウンレコード・新宮崇志氏

 メンバーは大きな痛みを感じ、一方でさまざまな思いが渦巻く中でも純烈を続けるための言動を貫いてきた。では、その間近にいた一人は何を思い、そしてどんな光景としてあの騒動を心に焼きつけたのか。 「あとで考えるとこれは本当に甘い考えなんですが、あそこまで大きな規模になるとは思っていませんでした。ビッグアーティストや超有名人でもないんだから、純烈はまだそこまでのものじゃないだろうという心も甘えです。加えて、記事として出るか出ないかという段階では『出ないでくれ』という願望を含めつつの動きだったので、そこでも対応が遅れたというのもありました。  そもそも、お金の件はなんとなく耳に入っていましたけどDVに関しては一切知らなかったので、最初に聞いた時は“信じられない”が本音でした。そこから事実であってほしくない、事実であったとしても出さないでくれという気持ちの流れによって、甘い考えにつながってしまったんです」  純烈との関係をビジネスと割り切って築いていれば、もっと早く対応に動けたのかもしれない。だが、新宮は“一蓮托生”の距離感でメンバーと苦楽をともにしてきた男である。 『週刊文春』のウェブ版に第一報が出る前日、山本浩光マネジャーの実父が他界した。連絡系統の要であり、不測の事態があった時こそメンバーを支える存在ではあるが、事務所は長男として山口に戻るべきと決断。本人も石にかじりついてでも離れたくなかったその場から、無念の思いと悲しみが爆発しそうになりながら新幹線に飛び乗った。  山本不在の中で、その役割の一端でも代わりにできるとすれば、自分しかいない。新宮は一つひとつの対応を会社に通さず、自己判断で進めていった。一個ずつ“ほうれんそう”をやっていたら、とてもではないが一連の流れの速さに追いつけない。 「これはもう、あとで会社員として怒られるのを覚悟でやりました。『これでいいですか?』『こうしたいんですけど』などと一つひとつ上にうかがっていたら、答えが下りてくるまで時間がかかってまるで事が進まない。友井さんからメンバーの会見までできるだけ時間を空けるべきではないと思ったんです。  何も言えない、言うべきではない時間が長ければ長いほどメンバーのメンタルも弱っていっただろうし、先延ばしにすることによって心が衰弱するのはわかっていたから迅速に進めたかった。なので、上から『おまえの担当しているグループがこんなことを起こして……どうなっているんだ!』みたいに言われることはなかったです」  それほど世の中の流れは速かった。数日前まで紅白歌合戦初出場を果たしたグループに対する称賛で埋め尽くされていたSNSが、またたく間に顔つきを変貌させ、批判的な声や「裏切られた」といった哀しみで塗り替えられた。

とんでもない数の報道陣に「こんなにも大ごとになるのか」

 それでも、ほんろうされるままでいるわけにはいかなかった。新宮は友井の謝罪会見の場としてクラウンレコード社内の一室を押さえる。その時点で可能な最短の日を決めて、4人の場を持つ段取りもつけていた。  会見が終わったところで、4日後に同じ部屋で酒井、白川裕二郎、小田井涼平、後上翔太出席のもと開く会見のプレスリリースを配布する予定だった。ところが、友井の時点で想定以上の報道陣が集まったのを見て、ここではできないとなった。 「それも読みが甘かったんですけど、とにかくとんでもない数の報道陣が集まったのを見て、こんなにも大ごとになるのかと思いました。いや、大ごとだよ!とそこで理解するんですけど、とにかくここでは入りきらないと思って用意していたリリースも配らなかった。友井さんの会見に来ていただいたところすべてに、4人の会見にも来てもらうのが重要だったんです。  友井さんの会見を受けて、あくまでも4人で頑張っていくという意思表示をする。だから、4日後の会見には少しでも多くの報道陣に来ていただいて、純烈としての姿勢を広めていただく必要があったんです。それがわかっているから友井……も、いろんなことに歯を食いしばって一人で語り、すべて事実ですと認めた。自分を擁護することなく、誰のせいにすることもなく」  一度印刷したプレスリリースをゴミ箱に投げ込み、友井会見の日の夜に新宮は他の会場を当たった。メンバーは前川清50周年記念明治座公演の演習中だったため、稽古場近くの施設を探さなければならなかったがホテルはどこも埋まっており、辛うじて貸し会議室が空いていた。  翌日、足を運んで対応できる広さであることを確認すると、新宮は改めてプレスリリースを作成し各メディアへ送った。言うまでもなく、本来こうした仕切りは事務所側がやる。  いくらアーティスト担当だからといって、ここまでやる義務はない。それでも新宮は、誰に言われたわけでもなく動いた。 「山本さんがいないという緊急事態の中で、事務所がやることだからと理由をつけて逃げずにいられたのは、それまでの彼らの頑張りを見ていたからです。あんなにいい思いをさせてもらったんだから、苦しい時に逃げることはできないだろうって。  そういう人たちが業界内外にたくさんいた事実が、純烈そのものなんだと思います。あの時は、どんな連絡がいつ来るかわからないから、携帯を握り締めながら寝ていましたね。すぐ飛び起きて応対できるように」
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空いた純烈号の助手席に座りフラッシュを浴びる日々
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