エンタメ

<純烈物語>押し寄せる報道陣。スキャンダル発覚時裏方はどう動いたのか<第36回>

空いた純烈号の助手席に座りフラッシュを浴びる日々

 2回にわたる会見はこうした状況下でおこなわれ、それが世間へと届いた。酒井自身が「沈むと思った」スキャンダル。新宮は「スタッフとしてはダメなんでしょうけど、リーダーにしがみつくという感じでした」と振り返る。  個人としての友井に対する思いを別にしても、その存在の大きさが身に染みた。振り付け担当がいなくなるのはパフォーマンスのクオリティーに直結してくるし、白川に次いで人気は高かった。  何より、女性が一番嫌がるであろうDVは純烈がグループの主軸として打ち出していることと真逆の行為。いい意味で近い距離感を築いてきたからこそ、その密着度が事実の生々しさを増長させてしまう。  ファンの気持ちも、世間の物言いもわかるからこそ、それ以上のことは自分ではいかんともし難い。「リーダーにしがみつく」が、当時の偽らざる思いであることは否応なく伝わるだろう。  新宮ができるのは、しっかりと会見の場を設けて、一人でも多くの人に残った4人の姿勢を伝えることだった。友井に対する個人的な思いは一切口にしなかった。 「世間に対し、友井がかわいそうなどと悟られること自体いけない。それが伝わったら『4人で頑張る』がかすんでしまいます。淡々と友井の会見をやって一人になって、ハーっと息をついた途端、涙が出てきて……それが3、4日続きました。悪いことをしたけれど、嫌いじゃないんです。あの人の功績は大きいし、元ジャニーズという彼にとっては重い十字架を背負って紅白にたどり着いた景色は、かかわらなければ見られなかった。  そこを乗り越えて出られたというのは僕も励みになったし、いろんな人に勇気を与えたと思います。あの景色を見せてくれた友井……さんに対する感謝は一生消えない。消えないんだけど、友井さん一人のことよりも4人のことを考えた時に、みんなが出した判断が間違っていたとは、今でも思っていないです」  会見後もしばらくはメディアが4人を追い回した。“純烈号”と呼んでいる車の中で、常に友井が座っていた助手席。そこはカメラのフラッシュを浴びる恰好のポジションでもある。  あの日以後、そこは新宮が陣取ることになる。「ほかのメンバーを座らせるわけにはいかない」と思ったからだ。案のじょう、その顔はテレビや週刊誌を通じて晒され、知り合いが「写っていたよ」と言ってきた。もちろん、まったく見る気はしなかった。 撮影/ヤナガワゴーッ!
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxtfacebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

純烈物語 20-21

「濃厚接触アイドル解散の危機!?」エンタメ界を揺るがしている「コロナ禍」。20年末、3年連続3度目の紅白歌合戦出場を果たした、スーパー銭湯アイドル「純烈」はいかにコロナと戦い、それを乗り越えてきたのか。

白と黒とハッピー~純烈物語

なぜ純烈は復活できたのか?波乱万丈、結成から2度目の紅白まで。今こそ明かされる「純烈物語」。
1
2
おすすめ記事
ハッシュタグ