更新日:2023年05月24日 16:11
エンタメ

RCサクセションが50周年、忌野清志郎さんが見てきた景色。デビュー、低迷、決別…

病気、事務所との決別、メンバーの脱退…修復不可能な溝が生まれる

 ブレイクし一躍有名ロックスターとなった清志郎さんだったが、この頃から体調を崩しがちに。熱心な治療もあり、なんとか病気は完治させたものの、次は事務所への対応に不信感を募らせ始めたという。
FEEL SO BAD

アルバムタイトルからも彼らの思惑が想像できる(写真はamazon『FEEL SO BAD』より)

 決定的だったのは、事務所が本人らに無許可でオムニバスアルバムを発表したことだそうで、その後アルバム『FEEL SO BAD』のリリースを最後に、メンバーは当時の事務所を去った。そして1985年にメンバーらと新たな事務所を立ち上げる。  しかし88年になると、清志郎さんは覆面バンド「THE TIMERS」での活動を開始。古巣のRCサクセションは90年に2人のメンバーが脱退して3人編成に。バンド内にヒビを残したままレコーディングを進行させ、アルバム『Baby a Go-Go』を完成させるも、気が付いた時には修復不可能な溝が生まれていたようだ。

RCサクセションの活動休止…ソロになってからは自由な活動を見せる

 生まれた溝は埋まることなく、91年1月、RCサクセションは無期限の活動休止を発表する。その後、清志郎さんはソロの音楽活動に勤しみ、高く評価されていった。
忌野清志郎

完全復活祭では変わらぬ歌声を披露していたそうだ(写真はamazon『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館[DVD]』より)

 そのかたわらで、ユニットへの参加やアーティストへの楽曲提供、竹中直人監督作品の映画『119』での音楽監督など、音楽を軸にした活動はもちろん、絵本『ブーアの森』で作画を担当し、ダイナミックな色彩感覚を見せるなど、マルチな活動も展開していく。  そして晩年、2006年に喉頭癌であることを公表。休養のため音楽活動を休止するが、08年に「忌野清志郎 完全復活祭」を日本武道館で敢行。RCサクセション時代のメンバーとも共演した。09年5月2日に惜しまれながら永眠するも、今も彼へのラブコールはやまないようだ。<文/A4studio>
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