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<純烈物語>「紅白」と言っていられない現実の中で、リーダー酒井がファンに伝えたいこと<第41回>

新曲の初披露が無観客も

 すぐれぬ体調、引きずる筋肉痛、まだ体に染み込んでいない振り付け、そして初体験の無観客……不安要素ばかりが頭の中でモヤつくリーダーも、そんないつもとは違ったうたコンの風景を目の当たりにし「よーし、久々にハッタリかますぐらいの気持ちでやるか!」と腹をくくる。結果、それがいい意味で純烈らしいステージとなった。  新曲のテレビ初披露が無観客。テレビを通してどう伝わったかはともかく、酒井本人は楽しかったという。 「受け手がいない中でやる難しさは、僕は何も感じなかったです。目の前にオーディエンスがいよういまいと、ステージに立って歌っている最中に考えていることは同じですから。普段からの心がけとして、絶望のあまり明日死のうと思っているやつがたまたま純烈を見て、アホらしくなって死ぬのをやめたとか、あるいは目が見えない、耳が聞こえない、車イス生活の人たちに笑ってもらえないかと考えているんで。  もちろんファンのみんなに感謝しているけど、もしかすると健常者の人たち以外に対して歌っている意識が強いのかもしれない。それとついてないやつ、負のスパイラルから逃れられず調子狂っている人がここにいる想定でどのステージでもやっているし、セットリストも毎回そういう人たちを思い描きながら作っているんです」  何かしらのハンディを背負っていたり、あるいはマイナスの状況から抜けられずにいたりする人たちにとってプラスになる存在。そうありたくて酒井は純烈を結成し、エンターテイナーとして人前に自分を晒してきた。  チケットを買って目の前に来てくれたオーディエンスを楽しませるのはあくまでも大前提であり、やってしかるべき。同時に、純烈を通じその向こう側へいる人たちにもプラスを届けたい。  常日頃からそうした心がけでやっていれば、オーディエンスのリアクションがあろうがなかろうがパフォーマンスをする上での姿勢は不変でいられる。思えば現在は、地球規模で誰もがマイナスを感じ、プラスを求めている時世。すべてが酒井にとっての“対象”と位置づけられる。 「無観客の中で歌って『目の前にファンがいないとやっぱり寂しいです』というのは、あとの3人に言ってもらえばいいことなんですよ。言った方が支持されて人気も出るんだから、それでいいんだよ。この前、ラジオに出た時も白川(裕二郎)が言っていた。自分がそれを言ったら嘘になっちゃうもん。そもそも客なんかいなくなって純烈やるぜ!というところから始めたわけだし。  もちろんファンがいるからこそ、この状況下でも純烈でいられるわけで、純烈に会いたいという声があるから純烈なんだけれど、いざ純烈を始めた時にその人たちに向かって歌っていたかというと、違うのが真実であって。『誰これ? 純烈っていうんだ』というのを残すことでやれてきたのが本当のところだし、そこはごまかせないよね」  2011年の東日本大震災の時も、酒井は「同調バイアス」にかからぬことを学んだという。周囲の流れを見て無条件で同じ方向へいくのではなく、常にその逆の選択肢も想定する。  事実、これまで酒井は他人と逆方向へ走ることで数々の困難に打ち克ってきた。業界内に「なんとかイベントをやれないか」という空気がまだあった時点で早々に自粛を決めたのも、迷いはなかった。  純烈としての最大公約数的なアナウンスは他のメンバーに委ねる一方で、酒井は自分の信念に従ってステージに上がり、閉塞した毎日の中でツイッターを通じファンを元気づける。リーダーとして、プロデューサーとしてそのつどお題と向き合ってきた中で、今は新型コロナウイルスという難敵の矢面に立っている。 「仕事が飛んで家にいると、脚を骨折した頃の自分が蘇ってきて千里眼が効いてくる。あの頃のように頭の中で、世の中がこうなるからこうなるというのを思いつくんですけど、今回に関してはコロナが明けた以後のことはわからないですよね。なので、このタイミングでこうなるから、ここでDVDを配信して楽しんでもらうとか(7作品分のダイジェスト編をユーチューブ公式チャンネルで公開)、今やれることを考える日々です。
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「この火事場はチャンス」「死んだらアカンねん」
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