サブスク解禁の「ハイスタ」がトレンド入り…伝説的バンドの軌跡
4月22日、90年代の若者たちの青春を彩ったパンクロックバンド・Hi-STANDARDの、これまでリリースしてきたタイトルが、各サブスクリプションサービスで解禁された。
これに先んじて、「サブスク解禁」という情報がインターネット上に流れると、“ハイスタ”がツイッタートレンド入りするなど大盛り上がり。彼らが活躍していた頃に青春を迎えていた古くからのファンにはもちろん、その快進撃をリアルタイムで目撃していない若い年代のファンにも、嬉しいニュースだったようだ。
1991年に結成されたHi-STANDARDは、ベースボーカルの難波章浩、ギターボーカルの横山健、ドラムの恒岡章からなるスリーピースバンド。ライブハウスでアルバイトをしていた難波が、自身の組んでいたバンドの解散をきっかけに、横山や恒岡章らを誘い始動させたという。当時は、現メンバーのほかにボーカルがいたが、脱退。それを機に、難波がベースとボーカルを兼任するようになったそうだ。
結成後2年ほどは、ライブの動員数が伸び悩んでいたというハイスタだが、積極的にライブ活動を継続。1994年にミニアルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリースすると、この作品の評判が広がり、ライブ動員数を伸ばし始めたという。
またその頃は、アメリカのパンクバンド・Green Day/グリーン・デイが、世界的なヒットを飛ばしていた時期であり、日本にもパンクの波が押し寄せていた。これが彼らにとって追い風になったと言えるだろう。
人気を獲得しつつあった彼らは、1995年に『Growing Up』をリリースする。このアルバムは大掛かりなプロモーションが行われたわけではなかったが、毎日100枚以上も売れ、2年以上ヒットチャートに載り続けるという、異様な売れ方を見せた。
当時のハイスタの活動は、とにかく小さなライブハウスを回り続けるというもの。ネットもなかった頃だから、彼らのライブを見て感動したファンたちが、純粋な口コミだけで熱狂を広げていったのだろう。翌年には、同作が全世界でリリースされ、全米ツアーも敢行。その後はワールドツアーも行い、世界中のパンクファンから支持を集めることとなった。
1997年にリリースしたフルアルバム『ANGRY FIST』では、オリコン初登場4位を記録。この頃にはすでに、アンダーグラウンドの枠には収まらない存在となっており、彼らに憧れた若いパンクバンドたちが、こぞって英語詞の曲を歌うようになっていたそうだ。
同年には、ロックフェス『AIR JAM』を初開催。まだ日本にフェスの文化が浸透していなかった当時に、ライブハウスで知り合ったインディーズバンドの仲間たちと協力、DIYでロックフェスを主催し、音楽界における新たなプラットフォームの構築に貢献した。
ハイスタは、CDが売れに売れていた90年代に、あえてCDの出荷制限を設けたり、メディア露出や大型のプロモーションを拒んだりと、大衆化されることに少なからぬ反発心を持って、活動していたバンドだと言えるだろう。サブスク解禁に踏み切ったことを、意外に思った方も少なくないはずだ。
だが、ハイスタのこれまでの軌跡を振り返れば、この決断にも合点がいくはずである。そこで今回は、少年たちのカリスマ的な存在だったパンクロックバンド・Hi-STANDARDの歩みをご紹介する。
動員数が伸び悩んだ結成当初…熱心なライブ活動でファンを獲得
メジャーレーベルから2枚のアルバムを発表
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