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高貴なる実験「禁酒法」の失敗。自由に酒が飲めないと人はどうなるのか?

禁酒法でお酒はギャングの資金源に

 禁酒法はウイスキーの歴史も変えました。高品質なバーボンウイスキーを作っていた蒸留所のほとんどは潰れてしまったのです。その代わりに盛り上がったのが、カナディアンウイスキーです。  実はカナダではその前から禁酒法が施行されたいたのですが、なんと製造は可能でした。そのため、カナダで製造し、アメリカに密輸したのです。密輸された酒瓶に記載されている製造日は1920年以前の日付に偽造されました。禁酒法の施行以前に持っていた物なら合法だからです。  人々が集ってお酒を飲むサロンはもちろん禁止されました。しかし、禁酒法が施行されたことで、その数倍の数となる無許可のバー「スピークイージー」が乱立したのです。カナディアンウイスキーだけでなく、密輸されたラムやテキーラも人気を集めました。  そんな時代に隆盛を極めたのがギャングです。酒の密造・密売は大きな利益を生み、アル・カポネはライバルのギャングを潰すのと同時に、警察や議員を買収して勢力を拡大しました。
ギャング

密造酒はギャングの資金源になりました

 フーバー大統領の命により、酒類取締局の捜査官であるエリオット・ネスをリーダーとする特別捜査班「アンタッチャブル」がアル・カポネを脱税で告発したのです。  禁酒法は高貴な実験と呼ばれましたが、失敗に終わりました。お酒から得られていた酒税を失ったうえ、国民の健康被害も起こしました。スラム街が過去の遺物になると謳っていたのに、実際は犯罪を助長し、アル・カポネのようなギャングの暗躍を拡大させてしまったのです。1932年、フーバー大統領に代わり、ルーズベルト大統領が就任し、翌1933年、禁酒法が廃止されました。  このような禁酒令は、世界中の歴史で見られます。日本でも大化2年を最初として、何度か禁酒令が出されています。なんと、2012年には福岡市が全職員に自宅外の飲酒を禁じた禁酒令を出してニュースになりました。  飲酒した市職員の不祥事が続いたことによる措置で、ある男性職員が人権侵害だと裁判に訴えたものの請求を棄却されてしまいました。酒飲みとしては、禁酒令が降りかかってこないことを祈るばかりですね。
お酒を毎晩飲むため、20年前にIT・ビジネスライターとしてデビュー。酒好きが高じて、2011年に原価BARをオープン。2021年3月には、原価BAR三田本店をオープンした。新型コロナウイルス影響を補填すべく、原価BARオンライン「リカーライブラリー」をスタート。YouTubeチャンネルも開設し生き残りに挑んでいる
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