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裏カジノで「ヤバい……」と思う瞬間は帰り際。数年前のインカジ事情

競馬場で見る客のようなキャッチが入口

 日が沈み、街頭に照らされて地面の模様がくっきりと見えてくる頃には繁華街にいた。いつもはカツアゲが怖くてあまり近づいたことのない場所だったが、金を持っていないと不思議と怖くなかった。どれだけ脅されても奪われるものがないと思ったからだろう。キャッチに声をかけられても「1円も持ってないんです」と答えられる。  キャバクラ、ガールズバー、居酒屋……どれもあまり興味はない。酒は好きだが、すぐそばに他人がいる状況は嫌いだった。酒を飲んでいたら尚更だ。僕は酒癖が良い方なので、酔って大声を出したり大袈裟に動いてみたりする人間を心底嫌っていた。酒癖は、良い方が必ず損をする。世界中の酒癖が良い人たちのことを思うと尚更、あけすけに酔っぱらう人間が嫌いだった。イジメはされた方が強く覚えているし、介抱はした方が忘れないものだ。  貧乏人特有の、金がなくてもいいだろうという恨み言を頭で唱え続けて繁華街の奥に進んでいくと、「お兄さんカジノ行かない?」と声をかけられる。競馬場で見るようなおっさんだった。カジノ、という聴き慣れない言葉に思わず頭が上がる。 「カジノ、あるんですか」 「インカジだけどね。初回サビもあるよ」 「僕お金持ってないんですけど」 「初めてならそれでいいよ」  まるでそれを知ってるのは普通、みたいに声をかけてきた。当時は気づかなかったが、普通の人間が何を知ってて何を知らないかを把握できないのは夜の街の人間にありがちな特徴だ。彼らは店のことを箱と言うし、執行猶予を弁当と言うし、インカムをつけた人間にはとりあえず挨拶をする。ある地点から文化が、人が、常識が切り替わる。

身分確認に学生証を見せる

 無一文の僕に身分証があるか確認してきたので、返納前の学生証を見せた。退学の手続きを済ませた後だったが、年度が切り替わるまでは使っていいと学事に言われていたので携帯していた。  学生証を一瞥するとおっさんはどこかに電話をかけた。「サビつけるってよ」とまたわからないことを言い、僕をどこかへ連れて行く。  おっさんの後ろを歩きながらずっとドキドキしていた。きっと、いや絶対に悪いことなんだろう。でも金が無いからどうでもよかった。世間的にまあまあな大学を辞めた僕は、「勉強ができるのにこれから悪いことをする自分」に酔っていた。ちなみに借金まみれの今ならわかるが、大学を卒業できない人間はそんなに賢くない。思慮深さや我慢強さもまた「知」であるからだ。  道がわからないと通らないような道を進み、知らない鉄扉の前で立ち止まる。扉に名前が書いていないのは人の家だけだと思っていたので少し戸惑う。 「カメラを見て」  と言われて扉の上を指差される。鉄扉上の方に監視カメラがあり、数秒目を合わせていると扉が開いた。と思ったらもう一枚扉があり、その奥から坊主の男が現れる。 「いらっしゃいませ」  首にタトゥーを入れている人も敬語は使うんだな。と思った。
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本棚には『新宿スワン』と『ウシジマくん』
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