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「なに、時短要請に従ってんの?」変化を嫌う酒場の老人客にア然…

孤独な老人

写真はイメージです

百頁を超える“俺の一代記”

 それは本、というより冊子だった。一色刷りの同人誌を想像してもらえるとわかりやすいと思う。 「誰にも理解されなかった俺の本だ」  珍しく自虐気味にそう言って、Kはわたしに手渡した。百頁を超える、そこそこの厚みだ。二十年前に作ったということでだいぶ日焼けして変色していて、表紙にはポップ体で書かれた『俺の意識改革』という文字が踊っている。それだけでもう嫌な予感がした。そもそも、本を読まないと言い切っている人間が本(のようなもの)を書いたということが理解できなかったし、まともなものを書くことはできないように思えた。  予感はだいたい当たった。頁をめくると、膨大な矛盾が散らばっていた。  某国立大学出身、という肩書を強調した知人の成功話が出てきたかと思えば、次の頁には権威や肩書に媚びるのはクソくらえだ、というようなことが書いてある。  カネに異様な執着を見せる表現が出てきたかと思えば、数行後にはカネで動くやつは信用できない、と出てくる。当然、自分が本嫌いだということについても触れており、理由としては、会ったこともない奴の言うことはあてにならないと書かれていたが、数頁後にはドヤ顔で文字を打ったであろう司馬遷の言葉が載っていて、いちいちツッコミが追いつかない。果てには自らがどこかの企業へ送った抗議文をまるまる載せていたり、突然「人間の愛とは」みたいなポエムが入ったりもうめちゃくちゃである。ついでに言うと句読点の打ち方もめちゃくちゃだ。  だいたいどんな内容の本なのかと問われるとかなり返答に困る内容であり、まぁ簡単に言えばあらゆる主張の吐き出しであり、そこに文脈や前後の流れなどはなく、ただ思いついたことを思いついた順に書いたのだろうと思われた。おそらく自覚はないのだろうが、ころころと主義や主張が多方面に散らばるので、一頁ごとに真に受ければ完全に人格が破綻している。かすかな望みを抱いてKがわたしにその本を寄越したのかもしれないが、読んで理解しろというのは土台困難な話だった。理解できたのは、なんでも片っ端から否定を続けることによって矛盾が生じていることと、その否定の根源には「よくわからないもの」への恐怖があるということだ。

怖いものがたくさんある子ども

 子どもの頃はいろんなものが怖い。明朝体で書かれた読めない漢字はだいたい怖かったし、火の用心も怖かったし、ちょっとした暗がりも、裁判という言葉も鉄筋コンクリートという響きも怖かった。成長とともに言葉の意味や事柄、物事がどう成り立ってどういう性質を持っているのか学ぶにつれて、怖いものはだんだんと減っていった。  きっと老人Kは、怖いものがたくさんある子どものままなのだろう。知ろうとしないから、知る前から否定してしまうから、彼の世界は「よくわからない怖いもの」で溢れている。彼にとっての「よくわからないもの」は自分を脅かす恐れのあるぼんやりとした不安要素として捉えられていて、だから先制攻撃をするように話を聞く前から否定して撥ね退けるのだろう。知ることを拒絶するから、「よくわからない怖いもの」は一向に減らない。そういうスパイラルに陥ってるのかもしれない。  本の感想を聞かれた際、わたしは「Kさんを知るうえで興味深かった」という極めて簡素な一言を伝えた。仮に上記のような指摘をしてみたところで、いままで七十年以上生きてきた人間が今更なにも変わらないと思ったし、むしろ思考なり生き方なりを変わることを強いられる羽目になるのは自分のほうな気がしたからだ。それはわたしの諦めでもあり、怠慢でもあるけれど仕方ない。あらゆる酒場とは得てして「その場しのぎ」の場所であり、あるものをあるがままに受け止めるしかないのだ。そんなことを考えては、それにしてももう少しなんとかならんかなと微かにこめかみがキリキリするクリスマス間近の夜であった。
(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani
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