更新日:2021年01月28日 15:22
仕事

現実は西成のタコ部屋住まい。自称“東京の証券マン”の悲しい末路

本当は筑波じゃなくて日大

「さっきの話だけどさ、俺じつは筑波じゃなくて日大なんだよ。いや、あれなんだよ。この飯場って日大出身がやけに多くてさ、飲みに誘われるのが面倒だからウソついてるんだよ。日大ってさ、同郷意識というかそういうの強くてさ。ねえ、話合わせといてよ」  後ろから追いかけてきた証券マンは私の首根っこ掴み、人気のない階段に連れて行きそう弁明した。私の首を掴んでいる腕はガチガチに力が入り、震えまで伝わってくる。額に冷や汗を流した証券マンは泣きそうな顔をしていた。それ以来、バンの中でも休憩室でも現場でも、証券マンの口数は著しく減ってしまった。

忽然と西成から姿を消した証券マン

薄暗い空間

証券マンに首根っこを掴まれて連れて行かれた薄暗い空間

 私は10日間で飯場を辞め、西成のドヤ(簡易宿泊所)で清掃のバイトを始めた。飯場を出て1か月くらい経ったころだろうか、ドヤの前を泥だらけの証券マンが歩いていた。 「あれ、GWが終わったら証券会社に戻るって言っていたじゃないですか」 「いやー、社長に頭下げてさ、また有休延ばしてもらったんだよ。来週には帰る予定だよ。君はいつまで西成にいる予定だい?」  1か月後、私は西成を後にして同書を出版した。それから1年半が経った2019年の冬、再び西成の街を歩いているといまだに有給休暇中の証券マンが飯場の前に並んで日当が入った封筒を受け取っていた。だいぶ痩せた様子の証券マンに声をかけることはさすがにできなかった。飯場の人間によれば、その年末、証券マンは西成から忽然と姿を消したという。<取材・文・撮影/國友公司>
元週刊誌記者、現在フリーライター。日々街を徘徊しながら取材をしている。著書に『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)。Twitter:@onkunion
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ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活

国立の筑波大学を卒業したものの、就職することができなかった著者は、大阪西成区のあいりん地区に足を踏み入れた。ヤクザ、指名手配犯、博打場、生活保護、マイナスイメージで語られることが多い、あいりん地区。ここで2カ月半の期間、生活をしてみると、どんな景色が見えてくるのか? 西成の住人と共に働き、笑い、涙した、78日間の体験ルポ。
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