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悲運の甲子園のスター、上原晃が語る球界引退とこれからの夢

ケガで苦しんだ経験を生かして整体師に

 現在、上原は名古屋市内で整体師をやっており、休日には少年野球のコーチをしている。 「現役のとき、今の整体グループの会長さんに身体を診てもらっていた縁で整体師を始めました。自分が怪我で苦しんでいた分、治療にも興味があったので迷わず『やらせてもらいます』って感じです。治療の主として骨の並びを正しくすること。治療を行ううえで原因解明していくことは必然であり、それがまた難しい。日々勉強です」  アスリートでありながら人間の身体の構造を知らずにいた未熟さを知り、あらためて整体の奥深さを体感した。人間の身体の構造はまだまだ神秘に宿され、野球のような明確な結果や答えがまだまだ見つからないだけに学びがいがある。

まだやれる! 現役復帰も……!?

「映画『オールド・ルーキー』を観たときに、ひょっとしたら俺もイケるんじゃないかな、と淡い期待を抱いたし、チャンスがあればできるかなと思ったね」  上原は笑いながら言うが、目は本気で、ギラギラと輝いていた。何度も言うが、肩も肘もなんともない。  映画『オールド・ルーキー』とは、35歳でメジャー入りしたジム・モリスの実話を元に製作された2002年のハリウッド映画。テキサスの高校教師ジム・モリスは、妻と子どもに囲まれ、野球チームの監督をして平穏に暮らしている。ジム・モリスはかつてマイナーの選手だったが、肩を壊して引退。だが10数年経って肩の故障もすっかり癒え、バッティングピッチャーをやれば自慢の剛速球でキリキリ舞いさせる。  子どもたちから「地区優勝したらプロテストを受ける」という約束を受け、見事チームが優勝する。ジム・モリスは約束通りプロテストを受け、剛速球がスカウトの目に留まり、マイナーから史上最年長のメジャーリーガーとしてデビューするというシンデレラストーリーだ。能天気なアメリカンドリームではなく、家庭を持ったいい年こいたおっさんがメジャーを目指して野球をやる上で家族問題が紛糾するなど、30代後半の男性の悲壮を描いている作品だ。  上原は、映画『オールド・ルーキー』を観ながら主人公のジム・モリスを自分と重ね合わせていた。引退して10年経った頃までは、上原の中の炎はまだまだくすぶっていた。 「小学校3年から野球を始めて、30手前で引退したからといって、完全に割り切れるものじゃないからね」  野球が好きで好きでたまらない、この気持ちをかき消す権利は誰にもない。未練を残すことはみっともないと映るかもしれないが、未練があるからこそ強くなれるときだってある。上原晃の炎は、いまだ完全には消えていない。<取材・文/松永多佳倫>
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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