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元プロ野球選手の公認会計士。受験回数9回、なぜ諦めなかったのか?

 井川慶、中谷仁、坪井智哉。豊作と呼ばれた阪神タイガースの97年ドラフト組だった奥村武博。本格派投手として期待の高卒ルーキーだった奥村は、プロ入り後、度重なるケガに泣かされ、一度も一軍に上がることなく球団を去ることとなった。短い現役生活を振り返り、「プロ入りがゴールだったことを後悔している」と吐露した前編に続き、元プロ野球選手として初の公認会計士になるまでの道のりを追っていきたい。

プロ野球選手をクビになり、「なんとなく」で飲食業を開始

奥村氏 バッティングピッチャーまでもたったの1年でクビになった奥村は、友人と飲食業を始める。飲食業を始めた理由を聞くと、予想だにしない答えが返ってきた。 「なぜ飲食業を始めたかという理由を明確に答えられるものがないほど、なんとなく野球選手が引退してやる商売ってことで流された感じです。飲食業って非常に難しい商売なんですけど、参入障壁が低いというか、簡単にできる感じがしたんですね。感覚的に野球界に近いのが飲食業界だと思っています。出入りが激しく、さらにネットワークが広がりやすく、自分の努力次第で儲けられるというイメージがあります。簡単に選んでしまったんですよね」  環境的にも馴染のある業界でもあり、さらに飲食を営んでいる知人も周囲に多いため、飲食業に手を出す元プロ野球選手は少なくない。安易に手を出しやすい分、維持する困難さは筆舌に尽くしがたい。結局、1年余りで辞めることとなる。  その後、公認会計士という資格があることを知り、2004年秋から受験勉強が始まった。朝9時から17時まで帝国ホテル大阪の調理場で働き、そこから予備校に通い、22時には帰宅し、就寝まで勉強するというタイムスケジュールだった。しかし、この生活だと身体的にも負担が多いため、勤務時間を減らして勉強にあてられるように時給単価の高いネットカフェの深夜勤務、宅配便の配達などのアルバイトに代わったりした。

試験で“三振”、諦めようと思ったが

 公認会計士の試験は、短答式試験と論文式試験の二段階方式で、当時は毎年5月に短答式試験、8月に論文式試験というスケジュール。’06年に初めて短答式試験を受験してから4回目のチャンレンジとなった’09年に見事受かった。短答式試験に合格さえすれば、その3か月後の8月の論文式試験にたとえ受からなくとも、2年間は短答式試験を免除される。まさに第一関門は通過した形だった。 「’08年から縁あって大阪から東京に移り、会計士などの士業の資格を取るための予備校で正社員としてフルタイムで働きながら勉強しました。’09年に短答式試験が受かって論文式試験は三度のチャンスがあるんですが、三度とも落ちたんです。 その界隈では、これを“三振”と呼ぶんですが、会計士を目指して7年目の冬に“三振”をして、さすがにもう諦めようと思いました。周りの友人たちは『よく頑張ったよ』と言ってくれたんですけど、妻からは『ここで諦めたら絶対にあかん!』と猛反対されました。逃げていると見透かされたんでしょうね。ここから、もう一度奮起しました」  短答式試験が2年間免除となり、あとは論文式試験に集中するだけだった。それなのに、三度のチャンスを不意にし、すべて振り出しとなった。さすがの奥村も完全に心が折れ、このときばかりは公認会計士になることを諦め、コンサルティングの仕事に就こうと考えた。友人知人は「今までよくやったよ」と労い、親類も異論はなかった。  しかし、奥さんだけが反対し叱咤激励されることで、奥村は自問自答する。プロ野球界でも満足な結果を残せず、公認会計士も諦めてしまうとなると、すべて中途半端のまま人生が終わりかねない。年齢も32歳。自分を変えるためにも不退転の覚悟で臨むしかない。奥村は立ち上がり、再び前を見た。
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野球も受験も根っこは同じ
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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