更新日:2021年03月23日 18:50
スポーツ

星野仙一、落合博満が惚れ込んだ甲子園のスター。「潰された?」の問いに本人は

沖縄の星と呼ばれた男、上原晃

上原晃

現在は愛知県で整体師として活躍する上原さん。少年野球の指導もしている

「どうよ、元気?」  煌びやかな沖縄の太陽のような笑みを見せるものだから、こちらまでつい頬が緩んでしまう。彫りが深く典型的な沖縄顔イケメンの上原晃といえば、今から34年前の1988年中日優勝のダブルストッパーとして、同じ高卒ルーキー立浪和義と並んで大活躍した剛腕ピッチャーだ。高校時代は、沖縄水産で1985年夏、1986年春夏、1987年夏と四度甲子園に出場。「沖縄の星」として1980年代中期の高校野球界を席巻し、今や全国強豪県となった沖縄高校野球の躍進の基礎を固めたレジェンドでもある。  今から36年前の1985年夏の甲子園は、PL学園のKKコンビ(桑田真澄・清原和博)が最後の夏ということでKK一色だった。マスコミはKK人気にあやかりながらも次世代のスターを作るべく、沖縄水産の140キロ以上の球を投げる一年生ピッチャー上原晃に着目し、テレビ、新聞と大きく祭り上げた。  スター候補の一年生剛腕ピッチャー上原晃は、初めての甲子園で衝撃的な散り際を見せる。三回戦の鹿児島商工(現・樟南)戦。5対3と沖縄水産2点リードの7回裏途中から、話題の一年生ピッチャー上原が満を持して登板し、1点リードのまま最終回を迎える。逸る気持ちからか1死満塁でストレートの押し出しで同点、そして暴投でサヨナラ負け。全国にこれ以上とないインパクトを与える。  これ以降、上原晃と言えば、「サヨナラ暴投」が未来永劫の代名詞となり、35年以上経つのに沖縄ではいまだに「甲子園の悲劇のヒーロー」として語られている。

星野仙一、落合博満が惚れ込んだ

 当時NHKの解説者だった星野仙一(元楽天監督)は上原の怪腕に惚れ込み、中日の監督になったときに「なにがなんでも採れ!」とスカウト陣に至上命令を下す。明治大学進学を希望していた上原を強行にドラフト3位で指名し、獲得交渉のために星野監督自ら沖縄へ向かう機上の中で、「あいつは、将来のエースになれる。それだけのスケールの大きな器だと思っている」と呟いたという。  中日の主砲だった落合博満が夏の甲子園で上原が投げているのをテレビで観て「怖いピッチャーだ。パ・リーグにいってほしい。セならうちへ来い」と言わしめた。落合ほどの超一流バッターであれば、投手の能力を見抜く目も確かであり「4年したら20勝ピッチャーだ」と予見。それほど上原は無限の可能性を秘めていた。 「今はさすがに諦めがついたけど、10年前では諦めがつかないよね。だって元気なんだもん」  上原はケタケタ笑いながら話す。肩、肘はなんともない。ただ右手中指の血行障害のため、プロ生活は11年で終わった。
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鮮烈なデビューを飾る
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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