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「お前のリポートには心がこもっていない」大村正樹の仕事観を変えた大震災

「お前のリポートには心がこもっていない」

 震災当日、真っ先に現地入りして、生々しい映像を記録し続けた。しかし、一晩中カメラを回し続けたものの、せっかくの映像素材を東京のフジテレビまで電送する手段がなかった。 「結果的に、震災当日に僕らのリポートが使われることはなかったんですが、その後、震災から一週間後くらいに放送されたドキュメント番組や、《あれから何年……》みたいな振り返り番組では、僕らの撮影したものが何度も使われていました」  このとき、大村たちのクルーは不眠不休で現地の惨状を克明に記録し続けた。大学を卒業してアナウンサーになったときも、東京に戻ってフジテレビ専属のリポーターになったときも、「自分の使命」を考えることなどなかった。しかし、未曽有の大震災の現場を目の当たりにしたことで、大村の中で何かが変わった。 「93年にフリーになったばかりの7月、北海道の奥尻島で大地震が起きました。僕はすぐに現場に行って、必死にリポートしました。でも、このときのリポートはすべてボツになりました。ディレクターには、“能天気にもほどがある”と言われました。でも、自分では、リアルにリポートしていたつもりでした。“オレの一体、何がいけないのか?”、そんな思いでした……」  ディレクターが口にしたのは「お前の場合は、ただ目に見えているものを表現しているだけで、心がこもっていないんだ」という言葉だった。

大先輩・東海林のり子からのダメ出し

「ちょうど、同じことをリポーターの大先輩である東海林のり子さんにも言われました。東海林さんからは、“きちんと喜怒哀楽を表現すること。もっと、取材対象者に寄り添うこと”という言葉をもらいました。その言葉を初めて実感できたのが、阪神淡路大震災の現場だったんです」  煤だらけになって呆然としている人、愛する家族を突然失って悲嘆に暮れる者にマイクを向ける。そこには覚悟が必要だ。それまでの大村には、その覚悟がなかった。何の覚悟か? ジャーナリストとして「人々に寄り添いながら、現地の生の声を、人間の喜怒哀楽を、ありのままに伝える」という覚悟だ。言い換えれば、「ジャーナリストの矜持」だ。ようやく、その覚悟が大村にも芽生えようとしていた。  そんな矢先に、再び彼の覚悟が問われる事件が起こる。95年3月20日、地下鉄サリン事件に端を発するオウム事件である――。 (第3回に続く) 取材・文/長谷川晶一(ノンフィクションライター)撮影/渡辺秀之
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数
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