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「お前のリポートには心がこもっていない」大村正樹の仕事観を変えた大震災

息を呑むような惨状を目の当たりにして……

大村正樹2 羽田から徳島に飛んで、伊丹空港に着いたのは14時過ぎのことだった。しかし、交通網はすでに麻痺しており、伊丹から神戸に向かう「足」がなかった。電車は止まっていた、タクシーもなかなか見つからない。やがて、ベテランリポーターたちも、続々と関西に到着する。ようやく見つけたタクシーにはベテランたちが乗り込み、先輩リポーターたちが次々と、変わり果てた街の惨状をリポートしていく。 「最初は何台かのタクシーに、みんなで分乗して行ったんですけど、徐々に惨状がわかってくるにつれて、それぞれの地点でリポートするためにベテランたちが降りていきました。僕たちは、“行けるだけ遠くに行って、リポートするように”と言われたものの、もうそれ以上は先に進むことができず、僕たちがタクシーを降りたのは甲子園口の辺りでした。そこからはヒッチハイクで神戸まで向かいました」  街は大渋滞だった。都市機能は完全に麻痺し、パニック状態にあった。14時過ぎに伊丹空港を出発して、タクシーで甲子園口に着いたときには17時を過ぎていた。そこから、明石海峡大橋建設に関わっていた建設会社の車をヒッチハイクして、神戸市東灘区に到着したのが20時頃だった。

ようやく辿り着くと……

 ようやくたどり着いた東灘区では「大物キャスター」と遭遇した。この頃、フジテレビの「報道の顔」であり、『ニュースJapan』のメインコメンテーターだった木村太郎だ。 「東灘区では、別ルートですでに現地入りしていた木村太郎さんと出会いました。木村さんとしては、さらに被害の大きい長田区の鷹取商店街方面に向かいたいと考えていたようで、僕たちが乗ってきた車を木村さんたちに譲って、僕らは東灘区で降りました。そこで、僕とディレクターと、カメラマンと音声さんの4人は、ひと晩かけて長田区の西市民病院に向かったんです」  街ではいたるところで火の粉が舞っていた。暗闇の向こうからは、ガスボンベが爆発しているのだろうか、ボンボン、ボンボン、爆発音が聞こえてくる。息を呑むような光景が次々と現れてきた。 「僕たちの目の前で木造家屋が倒れていきました。家を失って、呆然としている人もいました。幸いにして家屋は無事だったけど、余震の可能性があるから家の中に入ることができずに不安なままでいる人たちもいました。あるいは、いわゆる火事場泥棒の現場も目撃しました。あのとき、あの場所では、本当にさまざまな人間模様が繰り広げられていました……」
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「お前のリポートには心がこもっていない」
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