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<純烈物語>クライマックスの殺陣にすすり泣く声。水戸黄門と純烈物語のあわせ技に感涙<第90回>

3週間の公演中、最も美味しく感じたのは「丸亀製麺の坦々うどん」

「いろんな役者さんが出る中で純烈は潤滑油になって、大ベテランと若い人たちのつなぎ役をやらなければと思った。若い人を助けたり、里見さんに何かあったらサポートしたりとか、平均年齢四十代の働き盛りとしてもっとも最後まで気を抜いちゃいけないのが純烈だなと。だから千穐楽を終えた時はやりきった気持ちよりこれでよかったんですかね?という思いの方が座長、他の出演者の皆様、お客様、御園座に対してありました」  もっと若かったら、全公演を終えたところで「ここまで到達できた!」と高揚したかもしれないが、酒井は23公演中しっかりと持ち続けた手綱の手をようやく放したような感覚だった。毎日が御園座と名古屋市内のホテルの往復。夜の部がある日は19時過ぎが終演で、急いで駆け込まなければ晩御飯を食べるところはどこも閉まってしまう。  ステイ中、一番おいしいと感じたものは?と聞くと「丸亀製麺の坦々うどん」と答えた。名古屋でなくても食べられるものが、この21日間はとてつもなくありがたかった。 「PCR検査に一人でも引っかかったら公演自体がアウトだからね。こんなにリスクのある仕事はないわ」  第2部の歌謡ショーMCで酒井が言ったように、里見も高齢というリスクの中で水戸光圀公を全うするべく舞台へ臨んだ。「御園座は、私が初めて座長公演をやらせていただいた思い出の場所です。そこで私の十八番とも言えるお芝居で皆様と再会できることに大きなしあわせを感じております」の言葉からも、今回のステージに懸けた思いが伝わってきた。  目に映る演技以上に、そうした役者一人ひとりの姿勢から伝わるものがあれば、最大公約数の形で描かれながらも特別な感情を抱く名作になるのだろう。クライマックスへとなだれ込む殺陣のシーンが見事に決まるや、客席のあちこちからすすり泣く音が漏れ出した。  観劇前は、誰もが知る水戸黄門の誰もが知るシーンが見られるのだから、カジュアルに楽しめるとばかり思っていた。ところがじっさいは、想定外なほどのウェットな雰囲気に包まれたのだ。

純烈が黄門様とともに戦っている

 それも最大の見せ場である「この紋所が目に入らぬか! こちらにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも先の副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ!!」へ到達するよりも前に、心が揺さぶられていた。そのすべてが純烈ファンとは言わない。されど、これまで応援し続けてきた酒井と白川が大立ち回りを演じ、DNAに刻み込まれたあの光景の中に小田井も後上もいる。  なんという、特別な瞬間なのだろう――。  殺陣のシーンが、あまりに水戸黄門の世界観と直結するほど見事だったためか、その時点で涙腺が決壊していた。私たちの愛し続けてきた純烈が、黄門様とともに村人たちを助けるべく戦っている! 「そうだったんだ。それは『マッスル』みたいに、プロレスラーがリング上でシバキ合っている姿がスローモーションのように僕と白川のドラマがわかっているからこそ、エモく見えたのかもしれないね。立ち回りのところはお客さんを見る余裕もないから、そうなっているとは思わなかった。  もしそうだったのだとしたら、これは水戸黄門と純烈物語の合わせ技だよね。うん、その反応を聞いただけでやってよかったって思える。だってそれは、ファンの応援がこういう形になったんだから。純烈の面白さって、ダイレクトに応援できてダイレクトに返ってきたものを目のあたりにできるところなんだなって。買ったCD一枚、ライブ……そういうのが直結して紅白や水戸黄門、明治座の座長公演につながったんだよ」  水戸黄門も純烈が歩んできた物語も、ソウルを震わせるものという点で共通している。殺陣のあと、助さん役の酒井が「鎮まれ鎮まれ~!」と言うと、格さん役の白川に「この紋所が~」とセリフが移り、印籠を構える。  この瞬間はヤンヤヤンヤという言い回しがぴったりくるほどの拍手喝采。その後、酒井に「御老公の御前である。頭(ず)が高い。控え、控えおろう」と決めゼリフが返ってくる。
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最後に抜けてしまったあのセリフ
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