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<純烈物語>歌い手を目指すなかで白川裕二郎は米倉利紀の唄に揺さぶられた<第99回>

純烈_白川

<第99回>ボーカリストでありながらリスナーの耳と目線も持ち続けている白川の強み

 白川裕二郎が高校2年の時だった。当時つきあっていた彼女から電話があり、まったく予期していなかった事実を知らされる。 「尾崎、死んじゃったって……」  下の名前を聞かずとも、その名字が特定の一人を指すのは一瞬で理解できた。とはいえ、それをリアルとして受け入れるにはあまりに不意打ちすぎる。  ニュースでやっているからと言われるがまま、すぐさまテレビをつけるとワイドショーが大騒ぎとなっていた。ライブさえ一度もいったことがなく、作品のみを通じての関係性であるのに、まるで同じ景色を見て同じ時を過ごし、一つの思いを共有してきた相手を失ったようなその感覚……これが「ショック」という言葉で表されるものなのか。 「僕は音楽をアーティスト括りでは聴いていなくて、一曲ごとにいいなと思ったものをよく聴くようになるんです。その中で尾崎豊さんだけは今でも聴いています。京都のカラオケボックスで『ムード歌謡をやらないか?』とリーダーから誘われた時も『COOKIE』と『15の夜』を歌った。昔から、カラオケで歌うとしたらスローバラードで、あまりノリのいいアップテンポの曲は歌わない。  あの夜、そのほかに歌ったのが中村雅俊さんと河島英五さんで、やっぱりどちらもゆったりしたテンポ。そういった作品を好んで聴くうち、無意識に今の下地ができていたのかもしれませんね。いきなりムード歌謡と言われてもピンとこなかったんですけど、聴いてみたらスローテンポのものが多く、これだったら歌えるかもしれないと思えたのが、本当のスタートでしたから」  尾崎が遺した歌を自分の声に乗せたら、酒井一圭がそこに引っかかった。もしもノリのいいビートが効いたものをセレクトしていたら……と想像してしまう。 シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう シェリー どこにいけば 俺はたどりつけるだろう シェリー 俺は歌う 愛すべきもののすべてに       (尾崎豊『シェリー』より)  こじつけを承知で書くならば、役者として行き詰まりを感じていた白川は這い上がろうとあがいていた。自分がどこに向かい、たどりつこうとしているのかさえつかめなかった。だが、尾崎の歌と酒井のひらめきに導かれ、今では愛すべき純子と烈男のために歌っている。

相撲部屋に入門する直前に聞いた『My Revolution』

 特定のジャンルやアーティストではなく、耳に入ってくる音楽から好みのものを選んでいくと、おのずとヒット曲が多くなる。B’z、DEEN、THE BLUE HEARTS、たま……白川の脳内セットリストは増えていった。  ただ、それもシングルA面(この時はすでにCDだが)がほとんどで、隠れた名曲のようなものまで手を伸ばすのは、やはり尾崎のみだった。そんな十代も、高校を卒業すると残すところはあと2年。白川はその夏に、朝日山部屋へ入門する。 「卒業してから、友達が免許を取って中古で車を買ったんです。それで入門する前に思い出作りだといって、その車に乗って日本全国いろんなところへいったんですけど、カーステでずっとかかっていたのが渡辺美里さん。いい曲がいっぱいあるなあって。『My Revolution』と『夏が来た!』が特に好きでしたね。  あとはDREAMS COME TRUEの『サンキュ.』やMy Little Lover。今思うとこの頃って、どれも女性ボーカルの曲なんですよね。好きな曲が増えると、お金がなくて買えなかったからそいつの車に乗って聴いたり、友人たちからCDを借りまくったりしていました」  日本中で思い出を作ったあと、力士を目指した時点で音楽に関しては空白期間に入る。俳優に転身後『忍風戦隊ハリケンジャー』でデビューし、無事最終回まで演じるとミュージカル『みにくいアヒルの子-HONK』の仕事が舞い込んできた。  それが、生まれて初めて音楽と向き合うシチュエーションだった。話が来た時は、本格的に歌も踊りもやったことがない自分には絶対無理だと、全力で断った。  事務所には、やれば何かにつながるかもしれないからと説得された。まだ駆け出しの域を脱していない俳優に主役を任せるのだから、破格の抜てきである。 「あの時は、自分の人生において1、2位っていうぐらいメチャクチャ一生懸命やりました。四六時中そのことだけ考えて、朝は誰よりも早く稽古場にいって。僕、猫背だったんですけどそれを直すために星飛雄馬じゃないけど木で作った矯正ギブスを用意してもらって、それを装着して発声練習しました。ダンスと2人の先生がつきっきりで見てくれて、毎日終電がなくなるまで指導していただいたんです。  だから、そういう力になってくれる方々のためにも、食らいついてでも成功させたいって思うようになっていった。途中で演出家の方が変わっちゃって大変だったけど、自分がステージ上で歌うなんて、それこそ尾崎さんにハマった頃の自分は一瞬でさえも想像しなかったですからね」
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石原裕次郎、フランク永井etc.往年の名曲を練習
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