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<純烈物語>ラウンドなしのなかで、小田井涼平は「本来の歌手の姿」を取り戻す<第96回>

純烈_小田井

<第96回>“よけいなこと”ができないなかで小田井が課した「本来のあるべき姿」

 新曲の『君がそばにいるから』に続いて最後に『ひとりじゃないから』を歌い終えたところで、純烈の東京お台場 大江戸温泉物語再開ライブ昼の部は終了となった。少し間を置き、そのまま取材陣との質疑応答に。  つまり、中村座が公開記者会見の場と化した。ファンとしてはマスコミとのやりとりを生で見られるのだから、得した気になれただろう。 「幕が開いた瞬間に泣いてしまうかと思ったんですけど、ファンの顔を見て泣くよりもここは笑顔だなと思って。安心できる空間でした」(白川裕二郎) 「健康センターでのライブはお客さんの席にいってコミュニケーションをとるのが普通だったのが、それができないとわかった上でのライブ。どうなるかと不安はありましたけど、進むごとにマスク越しでも喜んでくださっているのがわかったので、ホッとしました」(後上翔太) 「コロナの間もこちらでは収録とかで使わせていただいてきたんですけど、お客さんを入れて大江戸温泉でライブができたのが、ものすごく感慨深いです。先ほど楽屋にいましたら支配人さんが挨拶にいらっしゃって、その時に聞いたのは僕らをきっかけにほかのアーティストさんのライブも再開すると。それが嬉しかったですよね」(小田井涼平)  1年2ヵ月ぶりの大江戸温泉ライブに関する感想をそれぞれが述べ、もっとも振られる酒井一圭が合間合間に笑いを取る。いつも通りの純烈会見……いや、やはり小田井がそんなリーダーの言葉を膨らまさずにいた。  実はこの日の開演前、有観客ライブ再開となりながら依然としてラウンドをやれずにいるのはどうなのかと聞いた。コロナになる前、客席を回る小田井が差し出されたタオルやハンカチをポーンと放り投げて喜ばせるのが名物となっていた。

ラウンドができないのが「本来の歌手のあるべき姿」

 持ち前のサービス精神、楽しんでもらおうという姿勢がにじみ出るタイプの小田井。ステージ上の振付にとどまらず、配信番組『純烈ものがたり』でもスキあらば小芝居をはさんでいた。この日のステージパフォーマンスが正攻法に見えたのは、ノーラウンドだけが理由ではない。 「もともとラウンド得意じゃないですから。楽しいのはもちろんなんですけど、遊びすぎてしまうんで、歌が疎かになる。そういう意味で本来のあるべき姿、コンサートとはこういうものなんですよということをやっていると思えば、歌手としての修行の一環ととらえられるやないですか。  お客さんのところにいって握手するのって休憩できるんですよ、踊らなくていいから。それができないとなると、最初から最後まで踊りを全部やらなきゃいけない。そこは、ちゃんとアーティストやりなさいと言われているのかなと、僕は思うんですね」 「遊びすぎてしまう」という自覚があるからこそ楽しい方、休める方に依存するのはよくないとわかっている。オーディエンスに楽しんでほしい思いと、アーティストとしてしっかりやるべきことは小田井の中で時として表裏一体になる。  ラウンドができないこのタイミングでは、後者に比重を置くべきと自分で判断した。また、それはコロナ前の“純烈体質”へ戻すための必要な作業でもあった。
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「どんなにシンドくても全開でやろう」
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